結婚式はハリー王子の「禊」 呪縛を解き放ったメーガンの「操縦術」がすごい!
VE Day(ヨーロッパ戦勝記念日)の式典で(1995年5月7日) Dylan Martinez DM-Reuters
母の死を封印することによって、平静を保つことを選んだハリー。実際、母の葬儀で残酷なまでに公衆の面前に晒されたハリーは終始俯き、表情はこわばったままだった。それでもなんとか気丈に振る舞う姿に世界中が涙したものだった。
まだ幼い王子たちだけに、彼らの心の傷を誰もが心配したものだったが、幸いにして2人ともイートン・カレッジでの寮生活が始まっていた。学校の寮が囲いになって、加熱するマスコミ報道をシャットアウトできたのはせめてもの救いだろう。かくして王子たちの私生活は守られた。
10代でアルコール依存、喫煙、マリファナ騒動
深い悲しみを抱えたまま、成長する王子たちだったが、その後の兄弟の進路は異なっていく。
品行方正な兄ウィリアムは学業でも優秀な成績を修め、パブリックスクール卒業後は1年間のギャップイヤーを経て、2001年にセント・アンドリュース大学に進学。順風満帆そのものだった。
一方でハリーは、スポーツ万能でラグビーやポロのクラブで活躍するものの、14歳ですでにアルコール依存症。タバコや大麻にも手を出し、その私生活は荒んでいた。17歳の夏休みには厳しい寮生活からの開放感からか、マリファナ吸引騒動を起こしている。これには父チャールズ皇太子も激怒し、麻薬中毒患者のセミナーに参加させられたこともあった。次第にタブロイド紙の常連になり、「王室の反逆児」のレッテルを貼られるように。
学業面では勉強に手を抜き、学年でも最低ランクの成績。結果的に、大学進学はあきらめ(そもそも進学を望んでいたかは疑問だが)、サンドハースト王立陸軍士官学校に入学を果たし、軍人への道を歩むことになる。