バノン氏との出会い――中国民主化運動の流れで
筆者は自分の名前を言っただけで、毛沢東に関しても何も触れていない。
ただ、何というか、直感のようなものが彼に働いたのではないかと感じた。それは彼の目つきに現れていた。
バノン氏の講演
バノン氏の講演タイトルは「中国の影響と威嚇に対する、アジア民主国家同盟を打ち建てよう」だ。
彼はまず「エリート官僚によって歪められたアメリカ政治を、庶民の草の根運動によって庶民の声を吸い上げるボトムアップの政治へと持っていかなければならない」と、自らのアメリカにおける立場を位置づけた。
バノン氏は1953年にバージニア州ノーフォーク市の貧しい労働者階級の家庭に生まれている。貧しい境遇に負けまいと勉学に励み、今日に至っているようだ。
筆者自身も中国における国共内戦の際に、中国共産党軍(八路軍)によって食糧封鎖を受けた長春で絶望の日々を送り、餓死体が敷き詰められた「チャーズ」で野宿した経験を持っている(詳細は『チャーズ――中国建国の残火』)。1953年に日本に帰国した後は、引揚者として極貧を味わった。生活保護なども受けたことは一度もなく、ゴミ拾いさえした経験を持つ。筆者もエリートが嫌いだ。
ジャンパーを着て「草の根」を論じるバノン氏には共感を覚えた。
続けて彼は中国の「一帯一路」経済構想に関しても述べたが、その主張は拙著『習近平vs.トランプ 世界を制するのは誰か』の第4章「中国の野望、世界のリスク」で書いた内容と、ほぼ完全に一致していた。
座長を務めなければならない筆者は前列に席を構えて聞いていたせいもあったかもしれない。彼の主張に一つ一つうなずいている筆者の顔を何度も見ながら、バノン氏は講演を終えた。そのため演台から降りたときには、まるで何十年も親しくしてきた友人のような気持になっていた。
少なくとも筆者はそのように感じた。
おそらくバノン氏も、そう感じてくれたのではないかと推測できるのが、上掲の写真である。彼はグッと力を入れて筆者の肩に腕を回し、快く撮影に応じてくれた。
このとき、駐車場で渡せなかった『毛沢東 日本軍と共謀した男』の英文ダイジェスト"Mao Zedong, Founding Father of the People's Republic of China, Conspired with the Japanese Army"をプリント・アウトしたものと、『チャーズ――中国建国の残火』の英語版"Japanese Girl at the Siege of Changchun How I Survived China's Wartime Atrocity"を渡した。