人間には仲間がいる──「国境なき医師団」を取材して
宿舎からオフィス棟へ
最初の日に訪問したMSF海外派遣スタッフの宿舎に着いたのが、夕方。すでに懐かしく思う不思議さを感じながら、宿舎前のポーチの小さなソファに座ると、2時間前にフランスから着いたばかりという女性スタッフがいて、互いに微笑みながら握手をした。名前を名乗りあっただけで、あとは黙って夕暮れの首都を眺める。谷口さんはノートパソコンで東京と連絡を取るため、与えられた部屋に帰っていた。
俺自身はたいしたことをしていないのに、フランス人スタッフに対して軽い同志の感覚が湧いてきて、それが誇らしかった。ウガンダにいる目的が自分のためでないことが、充実感を強めているのがわかった。彼女も俺も誰かのために、生きているのだった。
宿舎には黒猫2匹がうろついていた。ドアに「必ず閉めて。猫が入るから」と書いてあった。2匹はどうやら親子らしかったが、どちらもスリムで若々しかった。
猫もまた夕暮れに見とれていたから、結局4つの生命体が首都カンパラの空を見ているのだった。俺は2匹も同志のうちに数えた。
その日は3人用の部屋に俺1人でゆうゆうと寝た。他のスタッフはみな、居住区に移動して活動をしているらしかった。
取材最終日
翌4月25日9時、宿舎に隣接するオフィス棟へ移動した。ウガンダでのMSFの本部である。3階建ての1軒屋。事務スタッフは8時から17時の勤務になっているそうで、2階に数人の薬剤師がいた。
最も上の階に、初日俺たちを迎え入れてくれたジャン=リュックがいた。活動責任者の部屋の中で、ジャン=リュックは再会を喜んで満面の笑みを浮かべた。
MSF広報部として谷口さんはそのジャン=リュックにインタビューを始めた。それぞれの活動地での派遣スタッフや患者たちの声を、広報部は常に発信する役割がある。
あれこれとウガンダ独自の問題点や進展の具合など述べる中、ジャン=リュックがしっかりとこう言ったのが特に印象的だった。
「活動が楽しいと感じる限り、僕は現場にいるよ。キャリアを上げようとはまるで考えない。現場を離れて何が面白いんだい?」
それはいかにも彼らしい仕事のしかただし、人生の楽しみ方そのものだった。
そうだろ?というようにジャン=リュックは肩をすくめ、両手のひらを上げた。
俺もにやりと笑って大きくうなずいた。
「エピセンター」
玄関まで階段を下がり、同じ建物の奥にある「エピセンター」にも行ってみることにした。
小さな部屋の前のポーチに出てくれたのはマリリン・ボネットという茶色い髪の背筋の伸びた女性医師で、紺のパンツに濃い水色の襟ぐりの広いシャツを着こなし、大きめの金属製の美しい首飾りをつけていて、端的に言ってとてもかっこいい人だった。
エピセンターは1987年にMSFが設立した科学・疫学研究機関で、感染症の発生と流行、その原因について科学的証拠を提供することを目的としているそうだ。そういう第三者機関による正しい解析がなければ、適切な対応が取れないのは当然だろう。