人間には仲間がいる──「国境なき医師団」を取材して
特にウガンダで研究が進んでいるのはマラリア、HIV/エイズ、アフリカ睡眠病などで、最後のアフリカ睡眠病はサハラ以南のアフリカに多い風土病で、患者・医療者の負担を軽くする検査法と新薬の開発が課題だという。
少し枯れた声の、意志の強そうなマリリンによれば、そうした病を「顧みられない熱帯病 (neglected tropical diseases)」と呼ぶのだそうで、罹患するのが貧しい人であるケースがほとんどであるため製薬会社にうまみがなく、なかなか治療が進まないのだ。したがって確かな効果があり、安価でもある薬剤をどう作ってもらうかのロビイングもまた、MSFの大きな仕事のひとつなのである。
さらにくわしく言えば、もしそのような薬が手に入ったとしても、現地でそれを使うスタッフの技能と知識が問われており、少しでもそれが低いと薬本来の効果が出なくなる。ゆえにスタッフトレーニングが欠かせないのだそうだ。
もちろんマリリンたちエピセンターも他機関と連携して統計を行っており、医療調査のための資金調達も協力しあっているという。人道支援団体はそれぞれ、自分たち組織の強いところをつなげ、弱いところを補い合って苦難に陥った人々に手を差し伸べているのだ。彼ら自身が完全で強いわけではないのである。
マリリン自身のことも俺たちは聞いてみた。
するともともとMSFに参加したのが1998年で、MSFがノーベル平和賞を取る前の年。数々の活動を経て、彼女マリリン医学博士は2003年エピセンターに移り、そこで薬剤耐性結核、髄膜炎、黄熱病などの研究をしながら、MSFがノーベル賞の賞金で設立した「必須医薬品キャンペーン(製薬会社に薬価の引き下げや新薬・診断ツールなどの開発を促す)」と共に活動を行ってきたのだそうだった。
と同時に、彼女たちは病気が蔓延する地域の人たちの啓蒙も行わねばならないという。なぜならば、例えばHIV/エイズもいまだに「悪魔の病気」と考えられて治療に考えが至らない場所があり、それは土地の宗教、伝統に埋没して漫然と死を待つことになってしまうからだ。
「それともうひとつ大事なのは」
マリリンはそう言った。
「MSFは数年から数十年という活動が多いでしょ。でもエピセンターはもっともっと長くデータを取っていかなければならない。だから次の世代をその場所で育てるのも大事。私もエンバラにある大学で教鞭を取って、ウガンダの学生たちにトレーニングをしているんです」
その土地で自助が出来るようにすること。
それ自体はまさにMSFが常に掲げている方針だった。哲学を共にし、活動はそれぞれの専門分野で特化するというのがMSFとエピセンターのあり方なのだろう。
俺はマリリンの話を聞きながら、あらゆる適材適所があることに考えを及ばせていた。彼女は医学博士であり、教育者の風格があった。ユンベの宿舎では水と衛生を学んで企業を離れたファビアンが地域に安全な水を供給すべく力を注いでいた。ドライバーのウガンダ人ボサは長年MSFに勤めて組織を愛し、食料補給にまで気を遣っていたし、アメリカ人レベッカは特に女性の人権について今日も心を痛めながら諦めずに活動していた。
それはマニラのスラムでも、ギリシャの難民キャンプでも、ハイチの医療機関でも同じことだった。
会社を定年になってから、ずっと望んでいたMSFでロジスティック(資材供給・機材修理などなど)の役を担うことになったカールも、拷問で心身ともに痛めつけられた人々をなんとか癒そうとしていたシェリーも、私は聖人君子じゃないと言いながらスラムの人々にワクチンを届けようとしていた菊地寿加さんも、みな自分が出来ることを努力とともに行っていた。
生き甲斐のある人たちだった。
その分、満足はしていなかった。
世の不条理に下を向くことも出来たが、なぜかそれをしなかった。
おそらく仲間がいるからだ。