地上に名前の残らない人間たちの尊厳
ファビアンに話を聞く
アナは他の用事で去った。ファビアンは屋根付きの共同スペースに残った。コーヒーでも入れて飲む気らしい。
そこで話を聞かせてくれるか、聞いてみた。もちろんOKだった。ソファに向かい合って座り、彼の取材を始めた。
目のくりくりした、笑顔の優しいファビアンはアヴィニヨン生まれで、今回が初ミッションという初々しいスタッフであった。
もともとパリでソーラーシステムの仕事をしていたというから、環境問題に興味があったのだろう。WATSAN(水と衛生)、下水システムを学生時代に学んだ彼は、やがて私企業に入って働いた。けれど、日に日に不満が募ったのだという。
「お金のことばっかり考えるのが嫌になったんです」
とファビアンはにっこり笑った。
信頼出来る先輩がいて、すでに人道援助組織で6年活動していた。ファビアンもそういう仕事がしたいと思った。
企業を3年でやめて、MSFに入った。彼からは満ち足りた活動による心の「張り」のようなものが光みたいに放射されていた。
そもそもMSFがフランス発の組織であることが彼らの幸福だと俺は思った。社会貢献をしたい時、苦しんでいる他国の人の役に立ちたいと思った時、彼らがそこに参加するのはきわめて日常的なことなのに違いなかった。
その点、俺たちの日本ではそこに一段階も二段階も超えなければならないことがある。周囲にMSFがどんな組織であるかを理解してもらいにくい(それをクリアする一助になれば、と俺はこの連載をコツコツ続けてきたわけだ)、しかもその周囲は話をいくら聞いても「なぜ?」と考える(NGOへの共感、尊敬がまだまだまだ低いから)、いったん活動しても母国に帰ると仕事がなくなっている(それでもフランスでさえ非医療関係者は仕事を見つけにくいというから、日本はどれほどの状況か。くわしくはギリシャ編でも説明した通りだ)......。
続いて、俺は聞いてみた。
「人道援助組織は他にもありますけど、なぜMSFだったんですか?」
するとファビアンは身を乗り出して答えた。
「MSFは問題が起こった場所に素早く入りますよね。おかげで成果がはっきりと刻々と見えるじゃないですか。それが刺激的なんです」
なるほど、それが気持ちが充実につながるのだろう。ただし、マニラのプロジェクト(妊娠や出産、性感染症や性暴力ケアなど)のようになかなか結果の出ないものにも、いまやMSFは力を傾けており、組織全体としてのチャレンジが始まってもいるのだけれど。