地上に名前の残らない人間たちの尊厳
「それから」
とファビアンは付け足す。
「素早く動けるのは資金があるからですよね。寄付をしてくれる方々があって、我々が各地域に入る。この流れに支障がありません」
シンプルに、彼は組織の利点を語った。
俺はそのさらにその奥へ質問をさし向けた。
「ファビアン、なぜ人道援助だったんですか? ボランティアをしたかった理由というか......」
ファビアンはそこで初めて少し考えた。困っているというのではなく、肝心な話だから正確な言葉を選んでいるという感じだった。
「たとえば、水はお金持ちのためだけにあるんじゃなく、皆で分けあうべきものですよね。なければ死んでしまうんだから」
まず彼はそう言った。素朴な、しかし真実だった。
すでにファビアンが学生時代にその水と衛生というテーマを学んだのを俺たちは知っているから、彼がその頃考えたことが今にまっすぐつながっているのがよくわかった。
「水は金儲けのためにあるんじゃなく、人の生活の質を上げるためにこそある。僕はそう思うんです」
それこそがまっとうな考えというものだった。もはや日本では、これが「ナイーブ」だと言われてしまう。「絵空事だ」と言われてしまう。なぜなら本当の苦難を想像出来ないからだ。水がなくて亡くなる人のことを考えることが出来ない、ただそれだけの理由で水は金儲けの手段だとストレートに考えてしまう。残念ながら、そいつは世界からすれば非常識に過ぎない。苦難はいつ自分に回ってくるかわからないのだから。
「とはいえ、たいした知識も経験もまだないんです。でもある分だけ役に立てるなら、収入よりも自分にはそれが大切だと思っています」
またにっこり笑って、ファビアンは少し恥ずかしそうにこちらを見た。彼の若さが彼にとっての正しさを求め、それは十全に与えられていると俺は思った。
谷口さんが彼に聞いた。
「パリの周囲の方は、あなたの活動をどう受け止めていらっしゃいますか?」
ファビアンは笑いながら言った。
「友だちも家族も、みんな喜んでます。すごくいいことしてるって。ただしアフリカの奥に入るって知って、ママは心配してますけど」
まあそれはそうだろう。すぐ近くで戦闘行為が起こり、膨大な数の難民が日々流入し、気を抜けば感染症が拡大し、想定外の事態で水供給が断たれればファビアン自身危険にさらされるのだから。
けれど、彼には頼りがいのある仲間がいた。世界中から来た百戦錬磨の先輩たちだ。