シリアで「国家内国家」の樹立を目指すクルド、見捨てようとするアメリカ
シリア内戦をめぐる政治プロセスから疎外され続ける
にもかかわらず、PYDはシリア内戦をめぐる政治プロセスにおいて疎外され続け、そのことが彼らを北シリア民主連邦樹立に向けて突き動かすことになった。
PYDは、米国とロシアが共同議長国となって国連で推し進めたシリア政府と反体制派の和平協議「ジュネーブ・プロセス」の蚊帳の外に置かれた。トルコとサウジアラビアがその参加を頑なに拒んだためだ。トルコにとって、PYDはクルディスタン労働者党(PKK)と同根の「テロ組織」で、その存在を認めることなどできなかった。シリア国民連合やイスラーム軍からなる「最高交渉委員会」を担ぎ、ジュネーブ・プロセスに陰に陽に干渉してきたサウジアラビアにとっても、PYDは目の上のコブだった。
ロジャヴァは、ジュネーブ2会議開幕の前日にあたる2014年1月21日に「移行期」の自治を担うとして発足したが、そのタイミングは、現政権と反体制派からなる「移行政府」の樹立を議論する場から排除されたことへの当てつけにも見えた。また、ジュネーブ3会議期間中の2016年3月16日、ロジャヴァ内に「北シリア民主連邦樹立評議会」(当初の呼称は「ロジャヴァ北シリア民主連邦樹立評議会」)が設置されたのも、同様の対抗措置だった。
ロシア、トルコ、イランを保証国として開始されたシリア政府と反体制派の停戦協議「アスタナ・プロセス」でも、PYDは黙殺された。三国は2017年5月、反体制派が支配する北部(イドリブ県、アレッポ県西部)、中部(ヒムス県北部)、東グータ地方(ダマスカス郊外県)、南部(ダルアー県、スワイダー県、クナイトラ県)に「緊張緩和地帯」(de-escalation zones)を設置することで合意、7月に入ると、これに米国、ヨルダン、イスラエルが同調し、北部を除く3地域で、戦闘停止、人道支援物資搬入、ロシア軍兵力引き離し部隊の進駐が実現した。シャーム解放委員会やシャーム自由人イスラーム運動と共闘する反体制派は戦闘を継続したが、彼らに対するシリア軍の攻撃が非難を浴びることはなくなった。
「緊張緩和地帯」設置にかかる合意において、有志連合の支援を受ける武装勢力の地位は曖昧だった。彼らは、イスラーム国に対する「テロとの戦い」に参加している限り、有志連合の「協力部隊」として庇護を受けることができた。だが、それ以外のロジックのもとで続けられる戦闘のなかで、彼らを保護するしくみはもはやなかった。
米国などが拠点として占領しているヒムス県南東部タンフ国境通行所一帯で活動してきた「ハマード浄化のために我らは馬具を備えし」作戦司令室(別称自由シリア軍砂漠諸派、ないしは「土地は我らのものだ」作戦司令室)所属組織は、シリア軍やイラン・イスラーム革命防衛隊の支援を受ける外国人民兵の攻勢に直面し、勢力を縮小させていった。
一方、シリア民主軍は、シリア軍と衝突することはなかったが、トルコの圧力に曝された。トルコは、アレッポ県北部のアフリーン市一帯に地上部隊を増派し、ロジャヴァ支配地域を断続的に砲撃する一方、「穏健な反体制派」と呼ばれてきた武装集団(ハワール・キッリス作戦司令室、ないしは「ユーフラテスの盾」作戦司令室)とシャーム自由人イスラーム運動を「家を守る者たち」作戦司令室として糾合し、シリア民主軍との戦闘に動員した。