昭和30年代のようなマニラのスラムの路地
極上のスラムめし
やがて彼女について外へ出た。
さっき白い布を出してくれた若い女性も横についてきてくれていた。
MSF側はジェームス、ロセル、ジュニー、そして俺と谷口さんだった。
スラムと言っても道は車が通れるくらいあり、両側に屋台があってにぎやかだった。犬が歩き、自転車が引くタクシー(トライショー)が走っていた。ホープがすたすた行くのであわてて小走りになったが、彼女はそっちの道に入れと指示したきり姿をくらました。どうやら煙草を買いに行ってしまったらしい。
若い女性一人にくっついて俺たちは小道を行った。両手を広げたらくっつくほどの幅の道だった。上に青いビニール布が貼ってあった。丸椅子を出して床屋を営む者、目の前で洗い物をする女、売店の狭い板の上にある黒ずんでカビだらけのバナナ、カラオケを出して歌っている者などなど、なんというかそれぞれがいたしかたなく好き勝手に生きている気がした。
その勝手さに再び俺はかつての日本の姿を見て懐かしく胸を衝かれた。だが、彼らスラムのフィリピン人たちに「高度成長期」が訪れるとは想像しにくかった。それが問題なのだった。
ずいぶん行ったところに広めの板がせり出しており、そこに銀色の食べ物容器が並んでいた。奥の家で調理した様々なおかずがそこに入っていて、細い板で作った長椅子に座って白めしをかっこんでいる若者もいた。椅子の下には犬と猫が一匹ずついた。
おかずには鳥の甘辛煮、野菜炒め、ゆで豚、魚を揚げたもの、パスタ、そしてなんとゴーヤチャンプルーまであった。俺たちは言われるままにそれぞれ好きな物を選び、店のおばさんにポリエチレンの薄い袋に入れてもらって、やはり頼んだ白めしを袋に入れてぶらぶら元の建物まで帰った。危険なムードはまるでなかった。
オフィスで皿を借り、スプーンを借りて食べたその「スラムめし」のおいしかったこと(俺の選んだゴーヤチャンプルーは沖縄のそれと素材も味もまったく同じで、このメニューの世界性を感じさせた)。
しかも、値段は各自40円くらいなのだった。
続く
いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。