あなたはこの「音に出会った日」のYouTubeを観たか
いま感じる興奮、生きている実感はわたしにとってはじめてのものだった。
耳が聞こえないのにナイトクラブに行ってどうするの、と思われるかもしれない。だが、そこがナイトクラブのいいところだ。音楽を感じることができる。体の中をビートが駆け巡っていれば、歌詞を聞く必要はない。(97ページより)
つまり著者は、基本的に前向きなのだ。気が強いし、明るいし、決してへこたれない。しかし、それでも運命の不公平さを痛感せざるを得ないのは、29歳で「アッシャー症候群」だと判明したこと。視覚障害と聴覚障害を併せ持つ病気で、つまり、そう告げられた時点で見えていた目は、次第に見えなくなっていくというのである。
しかも、そのおかげで看護婦になる夢を諦めなくてはならなかったりもする。盲導犬と思うようにいい関係を結べなかったりもする。そのため次第に悲観的、あるいは絶望的な表現が増えてくるのだが、それも仕方がないことだろう。
だから中盤以降は読むのがつらくなってくるが、やがて朗報が入る。人工内耳移植手術を受ければ、耳が聞こえるようになるというのだ。そして結果的に手術は成功し、著者は生まれて初めて音を知ることになる。
ソーダ水のように興奮と感情が体から溢れ出す。手は震え、涙が顔を伝った。泣くまいとしても涙はとめどなく溢れ、膝にポタポタ落ちた。
これがそうなのだ。わたしは聞いている。これが音だ。(221〜222ページより)
人工内耳のスイッチが入った瞬間の描写は、あまりに生々しい。「これが音だ」という表現に、感情のすべてが凝縮されている。もとから耳が聞こえる人間でさえ読んでいるだけで心を揺さぶられるのだから、本人の感動たるや想像以上のものだろう。そしてその感動を表現する装置として、Chapter 16では音楽が重要な役割を果たすことになる。
わたしはトレメインの家のリビング・ルームで生まれてはじめて音楽を聴いている。想像していたのとはまったくちがっていた。
子どものころ、スピーカーに耳を押し当てて聴いた、数百マイル彼方から聞こえて来るかすかなビートが、わたしにとって音楽だった。あるいは、ダンスクラブで流れていた、みんなを笑わせたり、ほほえませたり、泣かせたりするのが音楽だと思っていた。けっきょく、わたしはなにも知らなかった。
音楽は聞くものではない、感じるものだ。わたしはいま、音楽に恋している。(236ページより)
なお、著者がはじめて音を聴いたときのことはBBCラジオの番組で取り上げられ、その光景はYouTubeにアップされた。その結果、わずかひと晩のうちに世界中の人々に感動を与えることになり、取材が殺到したのだそうだ。
そして、2人の聴覚障害者をメンバーに持つアメリカの兄弟ポップ・グループ、オズモンズから連絡を受け、2014年9月からは聴覚障害者を支援する「オリーヴ・オズモンド・ヒヤリング・ファンド」で働きはじめたのだという。このエピソードもまた、著者と音楽との関係性の深さを象徴している出来事だといえるかもしれない。
なお巻末には、大きな役割を果たした著者の友人のトレメインが選曲したプレイリストが掲載されている。ロック・ステディ・シンガー、ケン・ブースの"Everything I Own"にはじまり、ハイムの軽快なロック・ナンバー"Don't Save Me"で幕を閉じる41曲は、著者の人生の1年1年から1曲ずつを選んでリストにしたもの。実際に聴きながら読み進めてみれば、本書はさらに鮮度を増すかもしれない。
【参考記事】「テロリストの息子」が、TEDで人生の希望を語った
『音に出会った日』
ジョー・ミルン 著
加藤洋子 訳
辰巳出版
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。2月26日に新刊『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)を上梓。