ヨーロッパの自己免疫疾患─ギリシャを歩いて感じたこと
サプライの智子さん
頭頂部が暑くなるのを避けてしばし木陰にいると、やがて智子さんが来た。白い長袖シャツにジーンズをはいていた。サングラスを外して明るく挨拶をする彼女は、あたりを見てこう言った。
「今日は静かですね。近頃は週に2、3回は地下鉄も国鉄もストライキですし、デモもこのへんでしょっちゅうしているんですけど。日本大使館から色々おしらせが来るものの、多すぎてわけがわからなくなるほどで」
しれっとした冗談も交えながら、実際にギリシャ情勢がどうであるかを伝えてくれるあたり、クレバーな人だなと思った。
そのあと谷口さんとあれこれ世界中のMSF情報を素早くやりとりしているのを聞くと、智子さんは3月末に南スーダンから日本に帰り、途中地震の被害を受けた熊本のミッションに緊急参加したあとでギリシャに来たのだそうだった。
「ついこの間、6月1日から消費税が24%になった上に、失業率が25%で、若年層だと50%なんですよ、ギリシャは」
谷口さんと俺に、智子さんは短くそう言った。突然やって来た俺のような外国人には、その生活の厳しさがまるで見えていなかった。若者の半数に仕事がないというのは、先進国としては致命的な経済状態だった。
それでも他国からの難民に手を差し伸べるMSFギリシャがあるということが、逆に俺には夢のような非現実的な事柄に思われた。
アクロポリスへ
アテネのアクロポリス、2000年以上前に造られ、小高いその場所から地中海周辺の栄枯盛衰を見てきた建造物を、その日は見学することになっていた。というか、前日にそれを俺が希望した。
週末だからこそ智子さんに長く話を聞けると知り、どうせだったらギリシャの根幹が感じられる土地を案内してもらいながらにしようと思ったのだった。もちろん受け入れる智子さん側もそう考えていたようだった。
というわけで、俺たちは旧市街へと足を伸ばし、そこから遺跡群へと近づくことになった。昼どきのアテネ市街だったが、開いている店はまだまだ少なかった。
智子さんによると、MSFでの初めてのシティライフなのだそうだった。それまでの任務地では金銭を使う場所自体が珍しく、反対に現在は自炊にもかかわらず日当みたいなものを使い切ったと彼女は笑った。同じく世界各地での取材経験のある谷口さんも、その違和感に同意した。