ヨーロッパの自己免疫疾患─ギリシャを歩いて感じたこと
国会議事堂前、衛兵の立つ場所で待ち合わせて。
<「国境なき医師団」(MSF)の取材をはじめた いとうせいこうさんは、まずハイチを訪ね、今度はギリシャの難民キャンプで活動するMSFをおとずれた。「暴力や拷問を受けた人びとを対象としたプロジェクト」を取材し、そして、ギリシャの根幹が感じられる土地、アクロポリスを案内してもらった...>
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たった一日での変化
いつまで経っても俺は落ちた海に頭を突っ込んだままで息が出来なかった。波がぐらぐら揺れたあと、俺の体はぐんと海底の方に引っ張られ、より水温の低い層に吸い込まれた。なぜか頭皮ばかりが冷たかった。
宿舎の硬いベッドで目を覚ましてすぐ、夢の要素が前夜のシャワーに直接関係しているのを理解した。お湯が出ず、俺は真水で髪を洗い、近くのスーパーで買っておいたタオルで全身をふいたのだった。
ありがたいことにWifiは国境なき医師団、MSFの関連施設に完備していた。俺は洗面所へ行き、歯を磨き顔を洗い、生乾きのタオルを使いながら、スマホを見た。そして、トルコでクーデターが起きかけたというニュースを知った。
ギリシャの隣国だった。数日後には至近の島へ取材に行く予定でもあった。そこでクーデターが実行されかけ、重要人物がこちらに向かっているとかいう記事も見た。前々日はフランスでテロがあったばかりだった。世界が不安定に揺さぶられ、あちこちで軸を失って物が倒れている気がした。
それでも当日の取材は変わらず行われた。俺たちは近くまで地下鉄に乗って行き、ギリシャの国会議事堂前、すなわちシンタグマ広場へと歩いた。衛兵が二人、旧王宮であった薄オレンジ色の議事堂前に立ち、白いソックスにカーキ色の上っ張りを着て赤帽をかぶっていた。その衛兵の姿をさかんに直す上官がいて、やがて集まっている観光客に向かって写真を撮るように促した。俺はどういうわけか、いつの間にか最前列に飛び出しており、撮りたくもないのにスマホを構えなければならなかった。
その観光地中の観光地で、俺たちはOCP(オペレーションセンター・パリ)から現地に配属された日本人スタッフ、梶村智子さんと待ち合わせていた。彼女はロジスティック・コーディネーターの下でサプライのマネージャーをしているとのことだった。つまり物資の供給を受け持っているわけだ。ちなみにこれがOCB(オペレーションセンター・ブリュッセル)だとサプライチームはロジスティックから独立して行動するというから、組織によって構成は異なるようだ。
相変わらず快晴でひどく暑い陽気だった。太陽の下、俺はギリシャの現在の民主主義を代表する場所におり、周囲を見渡した。それが経済破綻をした国だとは思えなかった。小ぎれいな人が歩いていた。住民の顔はのんびりして見えた。確かに店は閉まりがちだったがギリシャ人が夜型なのを聞き知っていたからさほど気にならなかった。
駅からの道で数人の物乞いは見た。中の二人は顔と手を白く塗っていて、白い布をまとっていた。古代の人物をあらわしているのだろうが、それが誰であるかわからなかった。がしかし、人々のチャリティ精神に訴えかける格好がいまだにあること自体、ひとつの社会の余裕のように俺は感じていた。
果たしてこの国は本当に苦境に陥っているのだろうか。それがよくわからなかった。