ヨーロッパの自己免疫疾患─ギリシャを歩いて感じたこと
閑散とした観光地
アクロポリスへと近づくにつれ、カフェが多くなり、客引きも大きな声を張り上げるようになっていた。道は細くなり、うねり、傾斜が強くなる。しかし人影はまばらだった。
もともとギリシャが好きで十年ほど前まで何度も観光に来ていたという谷口さんがしきりと首をかしげた。
「土曜日にこんなに閑散としてるなんて......いくらなんでも少ないですよね」
経済破綻と、難民問題での観光イメージの低下だろうか。丘の上の建造物も、石畳の坂も、カフェも、オリーブの小さな葉も、等しく日に輝いてまぶしかった。世界全体が光っているように見えた。その光の中にいるのは少ない観光客だった。アンバランスさが俺をまた夢の中に押し戻しかけた。このひたすら陽光で明るい国が、解けない困難のさなかにあるなんて。
「ギリシャ一国ではもたないと思うんです」
智子さんがぽつりとそう言ったのは、カフェで休んだ折だったかどうか。場所はもう忘れてしまった。
「ドイツとトルコの仲がまたよくないんで、なかなかうまい協力体制が出来にくいんですね」
「ああ、『EUートルコ協定』でやっと、ということですか?」
【参考記事】ギリシャの『国境なき医師団』で聞く、「今、ここで起きていること」
「そうです。結局イドメニを閉じて追い返すことになっただけで。難民は別の北への道を探してイオニア海へ向かうといった動きになって、根本的には解決にならないので」
そしてその話のあとしばらくして、智子さんは自分の行く道についても語ってくれたのだった。
「このミッションの期間が終わったあと、ナイジェリアへ行かないかと聞かれてるんですね。たぶんボコ・ハラムの暴力で傷ついた人たちや避難民のケアだと思うんですけど」
むろんそれもハードな仕事だった。
「でも、MSFはギリシャで終わりにしようかと迷っています」
「あ、そうなんですか」
俺はうまく答えることが出来なかった。智子さんは寂しそうに笑いながら続けた。
「日本の会社だと、一度やめると元に戻ったり出来ないんですよね。それに、NGOで働いてるって言うと、暇な人みたいに受け取られてしまいます。他の国では理解されることが、どうしても日本だと違っちゃうんです」