習近平と李克強の権力闘争はあるのか?Part 2――共青団との闘いの巻
いまや文化大革命などの政治運動の時代は終わり、安定的な党員の供給源は共青団なのだ。やがて、「かつて共青団でなかった共産党員はいない」日がやってくる。その共青団をやっつけて、どうする。
昨年の軍事パレードで李克強が司会――李克強を見くだしたとする報道
「習近平・李克強の権力闘争」というメガネを通してしか中国分析ができない人々は、驚くべき情報を発信している。
たとえば2015年9月3日の抗日戦争勝利記念日において挙行された軍事パレードの司会者が李克強であったのは「習近平への権力集中を象徴する」という分析である。
それによれば、「過去における軍事パレードの司会は、北京市トップが務めていた。(中略)だが、(李克強)首相が司会役に成り下がったのは、習近平への権力集中を象徴する」というのである。
この文章を書いたのは、筆者が一目を置いてきた、数少ない日本のジャーナリストの一人だ。高く評価していただけに、この文章を読んだ瞬間、彼が書くものすべてに対して信用を無くしてしまった。
なぜ、そこまでの衝撃を筆者が受けてしまったかというと、2015年9月3日に、中国が抗日戦争勝利記念日に軍事パレードを行ったのは、中華人民共和国建国以来、初めてのことだからである。抗日戦争勝利記念日の全国的な式典自体さえ、1995年まで行なったことがない。
北京市のトップが司会をしてきたのは、10月1日の「建国記念日」である「国慶節の祝典」だ!
抗日戦争勝利記念日における軍事パレードではない!
おまけに毛沢東は、1949年10月1日に中華人民共和国を建国させて以来、1959年までの国慶節においては軍事パレードを行ってきたが、1960年からはやめてしまった。
国慶節の祝典も、「5年に一度、小規模の祝典」を、そして「10年に一度、大規模な祝典」をすれば、それで十分という指示を、1960年に発した。
国慶節の軍事パレードが再開したのは、改革開放後、1980年代に入ってからで、国慶節の行事は「北京市共催」という形を取っている。だから、国慶節の時の司会は北京市のトップ(中国共産党北京市委員会書記)がするのである。
現在は国慶節祝典活動領導小組というのが設立され、北京では北京市が共催し、各地方での祝典は当該地の政府が共催するという形を取っている。
くり返して申し訳ないが、李克強が昨年9月3日に司会をしたのは、中華人民共和国建国後初めて行われた「抗日戦争勝利記念日の軍事パレード」における司会だ。