シンガポール「王朝」のお家騒動で一枚岩にひび
David Loh-REUTERS
<建国の父、故リー・クアンユーが作り上げた「明るく」ハイテクの権威主義国家シンガポールに変化の兆し。父を神格化して権力基盤を固めようとする息子のリー・シェンロン首相に対し、堂々と兄を批判し、より国民に近い路線を主張する妹のリー・ウェイリンを待望する声が高まっている>(写真は2003年9月、左から2番目が80歳の誕生日を祝うリー・クアンユー。左はリー・ウェイリン、右はリー・シェンロン)
9月16日、フェイスブックにある書き込みがアップされた。「もしパパが生きていれば今日で93歳になる。彼は人生の大半を国家の進展と国民の福祉に捧げてきた」。ここでいうパパは東南アジアの都市国家シンガポールの建国の父、リー・クアンユー元首相のことであり、書き込んだのはその実の娘、リー・ウェイリンさん(61)とされている。
シンガポールといえば東南アジアの経済大国で高度のハイテク情報通信社会でもあり、国民の間にはなんの不満も不安もないと思われている半面、変革への思いが地下水脈のように流れているのも事実。そうした潜在的変革願望に火をつけそうな存在として今、注目されているのがリー・ウェイリンだ。
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シンガポールで国家脳神経科学院を運営するリー・ウェイリンはフェイスブックへの書き込みで「父の遺志が踏みにじられている」と厳しく指摘。生前リー・クアンユーとその妻である母が住んでいたシンガポールのオックスレイ通り38番にある自宅を政府が歴史的建造物として整備・保存しようとしていることについて「父は遺跡化を望まなかった。父は住む人がいなくなれば壊してほしいと考えていた」と政府方針に異を唱えたのだった。
リー・ウェイリンが噛みついた政府とは、リー・クアンユーの長男であり、リー・ウェイリンの実兄でもあるリー・シェンロン首相が率いる政府である。言ってみれば父を巡る兄妹の言い争いなのだ。これが単なる兄妹喧嘩に終わらないのが、シンガポールが「明るい北朝鮮」と揶揄される所以でもある。
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「リー王朝一族支配」の都市国家
マレーシアから1965年に独立を果たしたシンガポール。リー・クアンユーは初代首相として1990年まで国を率い、急速な経済発展で東南アジアの優等国家に成長させた。首相辞任後も上級相、顧問相として2011年まで政治の中枢に留まり、2015年3月に91歳で死去するまで政治に影響力を持ち続けた文字通りの国家指導者だった。
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途中14年間は親族以外が首相を務めたが、2004年からは長男リー・シェンロンが首相を務める。再度のリー一族による国家運営は「リー王朝支配の復活」と映り、厳しい言論統制、実質的な一党支配、麻薬犯罪から道交法、立ち食いまであらゆる違反行為に厳罰主義で臨む国家体制ともあいまって「明るい北朝鮮」と自嘲気味に表現され続けているのだ。