黒人射殺事件の連鎖を生む元凶は
問題をひときわ難しくしているのは、意識的・無意識的な人種偏見だ。警官が民間人を脅威と見なすかどうか、特に相手が銃を所持していると見なすかどうかでは、常に有色人種に不利な判断が下される。
白人男性が銃を持ち歩いているのを見ても恐怖を感じる人はいるだろうが、警察に通報される確率は黒人男性より低い。このような偏見は、警官による銃撃事件の件数にも表れている。
非営利報道機関プロバブリカの14年10月の記事によると、若い黒人男性が警官に射殺される確率は、若い白人男性の21倍だ。「連邦政府のデータによれば、10~12年に警官の銃撃により死亡した人は合計1217人。15~19歳の黒人男性がこの中に含まれる割合は、100万人当たり31・17人にも上る。同じ年齢層の白人男性の場合は、1・47人にすぎない」
こうした人種間の不平等は、黒人男性が銃を持っていない場合にも見られる。最近の研究によると、「武器を持っていない黒人が警官に射殺される確率は、武器を持っていない白人の約3.49倍に達する」という。
バトンルージュとセントポールの事件の教訓は、黒人にとって、町で警官に呼び止められることを恐れるのが合理的な反応だということだ。一方、ダラスの事件の教訓は、警官にとって、市民が銃を持っていると恐れるのが客観的に見て合理的な反応だということだ。
こうして警官と黒人が互いに不信感を抱き、恐怖とパニックに陥っている。このような反応を合理的なものにしているのは、殺傷能力の高い武器である銃が野放しになっている現実だ。
この状況が変わらなければ、今後も警察と市民の両方で多くの人命が失われるだろう。そして、命を奪われる人はいつも白人よりも黒人のほうが多い。
警察に抗議する黒人たちを支持するか、警察を支持するかという二者択一の議論をする必要はない。唯一の合理的な道は、黒人と警官の両方の恐怖を取り除くことだ。
© 2016, Slate
[2016年7月19日号掲載]