いとうせいこう、ハイチの性暴力被害専門クリニックを訪問する(10)
もう一人の俺
いつどこで被害者と出くわしてしまうかわからない気おくれが俺にはあったが、ヨニーたちがそれはきちんと計算してあったのだろう。誰にも会わずに一階に降り、実際に外から来て受付を通り、緊急の医学的対応をする部屋と、臨床心理士の部屋の前へ行った。前者からは誰かが何かを訴える声がした。男性一人と女性一人の合わせて二人がその訴えを聞き、なだめているように聞こえた。
ヨニーは部屋の中を見せてくれようとしていたらしいが、しばらく時間がかかりそうだった。当然俺たちは遠慮した。他にも取材したい場所があったので、あとでまた来てみることになった。算段はリシャーがつけてくれた。
それじゃまたと言いながら、おしゃれなアフリカ女性ヨニー(なにしろキンシャサは昔からアフリカで最もファッショナブルな都市だ、と俺たちアフリカ音楽好きは叩き込まれている)はこれだけは言っておかねばという調子ではきはきと話した。
「私たちは被害者をケアすると同時に、被害者の親の心を変えなければならないの。被害にあった人を実の親が責めてしまう。誰にでも起きる被害なのに、味方がいなくなる」
これは日本の性被害でも全く同じことであった。どうしてそんなことになったんだと親がまず初めに被害者を詰問してしまう。そして友人が、社会が。深刻な二次被害が性暴力にはつきまとう。ハイチでもどこでも女性が受けている不条理は全く同じだと思った。
すると話の続きのようにヨニーが言った。
「あなたは小説家だと聞いたけど」
「あ、まあそうです」
「昨日も小説家が取材に来たのよ。一体どういうことなのかな」
「え?」
と驚いたのは俺よりもまずリシャーだった。そうした取材をコントロールしているのが彼だったからだ。リシャーが知らないうちに、どこの国の小説家がなぜ性暴力被害専門クリニックを訪れ、ヨニーたちにくわしく話を聞いたというのだろうか。
リシャーとヨニーはフランス語になって、少し離れたところでひそひそ話し出した。俺はふらふらと狭い通路を移動し、二段ベッドのある部屋の前まで行ってしまっていた。一人で外から窓を通して差す陽光を見ているうち、自分がその"前日に来た小説家"であるような気持ちがした。つまり前日へとタイムスリップしてしまったように思ったのだ。
事実、俺は行きの飛行機の乗り継ぎ時点で、正しい日付がわからなくなっていた。おまけにハイチは世界の標準時間から外れ、勝手にサマータイムを設置して動いていた。何があってもおかしくないと俺は思い、ではもう一人の俺は一体どんな小説を書こうとしているのだろうと思った。俺は自分の記憶を失った気がした。