最新記事

医療支援

いとうせいこう、ハイチの性暴力被害専門クリニックを訪問する(10)

2016年8月4日(木)17時10分
いとうせいこう

もう一人の俺

 いつどこで被害者と出くわしてしまうかわからない気おくれが俺にはあったが、ヨニーたちがそれはきちんと計算してあったのだろう。誰にも会わずに一階に降り、実際に外から来て受付を通り、緊急の医学的対応をする部屋と、臨床心理士の部屋の前へ行った。前者からは誰かが何かを訴える声がした。男性一人と女性一人の合わせて二人がその訴えを聞き、なだめているように聞こえた。

 ヨニーは部屋の中を見せてくれようとしていたらしいが、しばらく時間がかかりそうだった。当然俺たちは遠慮した。他にも取材したい場所があったので、あとでまた来てみることになった。算段はリシャーがつけてくれた。

 それじゃまたと言いながら、おしゃれなアフリカ女性ヨニー(なにしろキンシャサは昔からアフリカで最もファッショナブルな都市だ、と俺たちアフリカ音楽好きは叩き込まれている)はこれだけは言っておかねばという調子ではきはきと話した。

 「私たちは被害者をケアすると同時に、被害者の親の心を変えなければならないの。被害にあった人を実の親が責めてしまう。誰にでも起きる被害なのに、味方がいなくなる」

 これは日本の性被害でも全く同じことであった。どうしてそんなことになったんだと親がまず初めに被害者を詰問してしまう。そして友人が、社会が。深刻な二次被害が性暴力にはつきまとう。ハイチでもどこでも女性が受けている不条理は全く同じだと思った。

 すると話の続きのようにヨニーが言った。


「あなたは小説家だと聞いたけど」

 「あ、まあそうです」


「昨日も小説家が取材に来たのよ。一体どういうことなのかな」

 「え?」
 と驚いたのは俺よりもまずリシャーだった。そうした取材をコントロールしているのが彼だったからだ。リシャーが知らないうちに、どこの国の小説家がなぜ性暴力被害専門クリニックを訪れ、ヨニーたちにくわしく話を聞いたというのだろうか。

 リシャーとヨニーはフランス語になって、少し離れたところでひそひそ話し出した。俺はふらふらと狭い通路を移動し、二段ベッドのある部屋の前まで行ってしまっていた。一人で外から窓を通して差す陽光を見ているうち、自分がその"前日に来た小説家"であるような気持ちがした。つまり前日へとタイムスリップしてしまったように思ったのだ。

 事実、俺は行きの飛行機の乗り継ぎ時点で、正しい日付がわからなくなっていた。おまけにハイチは世界の標準時間から外れ、勝手にサマータイムを設置して動いていた。何があってもおかしくないと俺は思い、ではもう一人の俺は一体どんな小説を書こうとしているのだろうと思った。俺は自分の記憶を失った気がした。

ito3.jpg

(ふと入ってしまった緊急用の部屋)

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正

ワールド

イスラエル政府、ガザ停戦合意を正式承認 19日発効

ビジネス

米国株式市場=反発、トランプ氏就任控え 半導体株が

ワールド

ロシア・イラン大統領、戦略条約締結 20年協定で防
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 3
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 4
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 5
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 6
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 7
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 8
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 9
    注目を集めた「ロサンゼルス山火事」映像...空に広が…
  • 10
    「ウクライナに残りたい...」捕虜となった北朝鮮兵が…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 5
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中