いとうせいこう、ハイチの性暴力被害専門クリニックを訪問する(10)
オペレーションセンター・ブリュッセルへ
いったん性暴力被害専門クリニックから三十分ほどをかけ、OCB、つまりオペレーションセンター・ブリュッセルのコーディネーション・オフィスへ行った。それまで俺が世話になっていたのがOCA(オペレーションセンター・アムステルダム)だから、MSFの別の現地統括チームを見るいい機会だった。
鉄扉は同じ感じだったが、中は螺旋階段のある建物で、そこを上がっていくと受付があり、奥に中庭があって幾つかの部屋に囲まれていた。
俺たちが会おうとしているのはソン・ジョンシル(宋正実)さんで、俺たちの国の言葉で言えば在日韓国人、海外では韓国系日本人の女性だった。もともと谷口さんが日本のMSFで知っている人で、現在ハイチのミッションに参加していると聞いてどうにか会って様子を聞こうということになっていたのだ。
少し待っていると髪をきっちりアップにしてよく日に焼けたジョンシルさんが現れた。ぴかぴかに明るいムードを持っていて、いきなりそのあたりにいたオリビア・ゲイローさんという、地震の前からハイチでミッションを行っていた古参のメンバーを紹介してくれた。医療コーディネーターのオリビアさんは実に品のいい、外交官夫人のような感じの人物で、しかし手ごわいハイチのギャングたちにも文句を言えるような女性だということだった。話を聞いてみるといいですよとジョンシルさんは少しダミ声でさかんに言った。
しかし、俺たちがその日、話を聞きたいのはジョンシルさんからだった。MSFジャパンから派遣された人間の現状、メッセージをビデオに撮りたいという谷口さんの希望もあった。つまりジョンシルさんは元気のいい女の人特有の照れでオリビアさんを代理に立てようとしていたわけだ。
アフリカ風のブラウスを着たジョンシルさんにMSFのチョッキをはおってもらい、俺と谷口さんの取材は始まった。
彼女は神戸出身で阪神・淡路大震災に遭っていた。もともとはオーガニック関係の商品を扱う会社にいて貿易に携わっていたが、サステナビリティのある暮らしについて考えるようになってウミガメの保護などの活動をするうち、MSFのサイトに出会った。そして、そもそも震災後の神戸に最初に入った国際救援団体がMSFだったと知るに及んで参加の決心がついたのだそうだ。2008年、彼女は満を持して海外派遣スタッフとなり、初任地スーダンへ赴いたのだという。
つまり彼女も非医療従事者だった。MSFに入ってからは経験を活かしてサプライコーディネーターに専心し、物資調達を一括して見ている。緊急治療が必要な時のための薬や医療器具を揃え、安定した水や医薬品の輸入にあたって政府とたどたどしいフランス語で交渉し(英語はもともとの仕事もあって堪能だった)、輸入先とは値段についてタフなやりとりをする。
ジカ熱が流行するピーク時に経験から薬剤を補給したり、手術器具のメインテナンス契約をするのも彼女の役割だった。これまでになんと最大20ヶ月のミッションをインドやパキスタンで行ったというから、ベテランの領域に彼女はいた。それでも体験談にいちいち「なんちゃって」とか、「あたしなんか言える立場にないんですけどね」などと自分を茶化す。面白い人だった。
寄付の力
けれどもいざ寄付をしてくれているドナーたちへの思いを谷口さんが聞くと、ジョンシルさんの顔つきが一変した。
「世界各地にMSFが一番乗りして困っている人を救援出来るのは、寄付して下さる人がいるからです。皆さんが思ってらっしゃるより、その力って凄いんです」
これは実際にお金の動きを見ている物資調達関係者だからこその実感に違いなかった。彼女たちはそこにお金がなければ医薬品も手術器具もテントも水も届けることが出来ないのだ。
「年末になると、支援者の方々の声を派遣先のパソコンで一通ずつ読むんすよー。そうすると疲れてるからなのかなあ、どうしても泣いちゃうんです。感動して。支援者の方にもそれぞれストーリーがあって、あたしたちにもあって、そういうものが全部つながってドライブされて、それが活動になっていくんだなってわかって」
俺の心も動いた。"全部つながってドライブされて、それが活動になっていく"というダイナミズムは、善意が持つ力だった。それをジョンシルさんは身をもって知ってしまったのだ、と思った。関係する力、と言ってもいい。知ったらもう後戻り出来ない力だ。
「でね、言葉が通じなくても気持ちは伝わります。税関と交渉してるうちに、あたしなんか日本語でしゃべってる時ありますよ。だから、MSFに参加してみようかなって思って下さる方へのアドバイスは、成せば成るです。興味があったら一緒に働きましょう!」
ジョンシルさんはそう言い、次は中近東に行きたいのだと話した。情勢がよくないから、と彼女は言った。そこで政治を解決しようなどと考えているわけではない。けれど情勢がよくない場所には困難を抱えた人間がたくさん生まれる。彼らをジョンシルさんは放っておけないのだった。
「そもそも、怪我をして泣いてた子供が治療を受けて元気になるでしょ。それを見てるだけであたしたちはうれしいんです」
なんちゃって、を付けて彼女はそう言った。シンプルな、実にシンプルな人間の心の基本を、俺はハイチの空の下で知ることが出来たのだった。
さて、この回でハイチ編を終わろうと考えていたのだが、書くべきことはまだまだあった。
次に訪問する『国境なき医師団』派遣地もようやく決まった矢先だが、その取材期間中にもう一本のレポートを自動アップする予約をして、ハイチ編のラストとしたい。
おつき合い下さい。
続く。
追記
ジョンシルさんにビデオコメントしてもらったMSF公式の映像が出来上がったという。
是非こちらをどうぞ→ソン・ジョンシル@OCBコーディネーション・オフィス
いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。