「保守」「リベラル」で思考停止するのはもうやめよう~宇野重規×山本一郎対談(1)
揺らぐ「保守」「リベラル」の定義
山本:そうは言っても、今の日本において、どういったものが「保守主義」として定義できるのか、すごく悩ましい。いろんな人が保守を自認して「これが保守主義的な態度だ」と言うものの、よく見てみると単なる民族主義だったり、国家的な全体主義だったりする。たとえば英語圏では"ナショナリスト"とみなされる人が、日本では"コンサバティブ"とみなされるといった具合に、どうしても定義に"ゆらぎ"が生じています。
加えて保守に、"ネット右翼"みたいなものや、反動的なヘイトスピーチまでやってのける民族主義的なものまでが含まれるというイメージがあり、若い人達からすると、なんでもかんでもとりあえず"保守"になってしまっている。
一方で法哲学者の井上達夫さん(東京大学教授)が、「リベラル勢力とリベラリズムは違う」というお話をされているように、「リベラル」の定義も誤解されているように思います。
宇野:確かに今、「リベラルとは何ぞや」ということが迷走しています。それに対して「保守」は明確かと言うと、こちらはさらに混乱しているんじゃないでしょうか。
メディアも含め、「保守」「リベラル」というラベリングをして思考停止に陥ってしまうのはもうやめたほうがいい。本当は、社会の方向性や、どんな価値を守ろうとしているのか、で定義すべきです。
山本:「右」「左」という言い方も、今の使われ方はかなり変ですよね。あるいは「保・革」と言われても「え~!?」って思ってしまう、「戦後保守政治」というのも、ちょっと違う気がする。
「保守思想」の祖・エドマンド・バークが考えたこと
山本:そこで、本当の意味での「保守主義者」は意外と少ないのでは?という疑問が出てきます。
ただ、「保守思想」の原点であるエドマンド・バーク*に遡って、英国国教会の流れを組む本来の「保守思想」が日本にうまく合致するのかと言うと、そういうわけでもない。宗教的なバックボーンが違いますからね。
*エドマンド・バーク(1729-1797)
18世紀の英国で下院議員として活躍した政治家・思想家。『フランス革命の省察』というフランス革命を批判する内容の著作を公刊したことから、「保守主義の父」として知られる。宇野氏によると、バークの保守主義は、歴史的に培われた制度や慣習を保守しながらも、自由を尊重し、秩序ある漸進的改革を目指すものだとされる。
宇野:「保守とは何ぞや?」と聞くと、皆さん必ずバークを出してきますよね。彼がフランス革命を批判したことから、「抽象的な理念による革命はいけなくて、漸進的な改革を良しとするのが保守だ」というようなことをおっしゃるんですが、「本当にバークって、それだけを言った人なのかな」と思うことも多いんです。
というのも、バークはとても深い人物なんですね。体制派に見える側面もあるが、実はそうでもない。彼はアイルランドという、グレートブリテン(以下、英国)の中ではマイノリティの出身で、王様とはケンカするし、英国と敵対しているはずのアメリカの独立革命は擁護するし、さらに東インド会社のような植民地支配に対しても文句を言ってしまう。
彼が国王にまで噛みついたのは、「自由を大切にしながら少しずつ変えていく、それがイギリスの良き伝統だ」という信念があったからです。
山本:バークははっきりと「アメリカ人の自由に対する考え方は、我々と同じなのであって、擁護されるべきだ」と言ってしまうわけですよね。イギリスにとっては、植民地が独立されかねない瀬戸際の状態で、野党の理論派であるバークが、自由の考え方はイギリスの培うべきものと等しいと言い始めた。宇野先生の『保守主義とは何か――反フランス革命から現代日本まで』でもきわめて正確にその思想について解説されていますが、彼は単なる野党的な批判をするのではなく、「自由とは何か」をきちんと考えて、それがたとえイギリスの直接の国益にならなかったとしても、考え方が合致しているものに関しては擁護しています。
宇野:バークは議会や政党も非常に重視していました。政党とは国益のためにあるのであって、その実現の方向性をめぐって、分かれて競い合うものなんだと。だから対立はしても体制の全面的批判はしない。あくまで今の国政を前提に改革を目指すものなんだと。
山本:彼は父親が国教徒で、母親がカトリックという家庭で育ちましたから、そもそも多様性をはらんでいたわけですね。そこでうまく整合性を取っていくために、自由という概念やブリティッシュ・コンスティテューション(英国国体)に関する考え方などが整理されていった。だからこそ当時としても非常に破壊力のある批判ができたと思うんです。ただ、それをうまく日本に持ってくることができなかった。
宇野:それは大切な視点です。元々バークは文学青年ですし、美学の研究からスタートしているのですが、均整のとれた美ではなく、ある種の危うさを持った崇高さの概念からスタートしているんですね。
その根っこには、自分の中の軋み合うようなアイデンティティと、多様な人間が一緒に生きていくんだという前提があったと思います。そこから人間が一緒に生きていくためのマナーとか、共存のための作法みたいなものを洗練させてきたのが、彼の保守思想であり、本来のイギリスの保守思想なんでしょうね。
バークにとってフランス革命が気にくわなかったのは、「答えが一つ」だったからだと私は考えています。つまり、様々な声を許すのではなく「これが正解だ」「これが歴史の進歩だ、社会の発展だ。だから作りなおせ」というのがイヤだったんだと思います。
つまり、みんなで様々な伝統を使いながらやっていくのが社会の発展なのに、答えは一つだと決まっていて、あとは力づくで実現するのが「進歩」だと言われると、それにはついていけないと。
山本:社会の知恵というのは、複数の世代に渡って築き上げられてきた"合理性の塊"なんですよね。それは、真の意味での多様性の包摂だったり、少数の意見の尊重だったりする。
バークも「我々が大事にするべき価値とはなにか、伝統とはなにか?」ということを押さえて再定義し、社会情勢の変化や他国との関わり合いの中で、「ここは合わないから、改善してこう」と進んでいくのが「改革」だと考えたはずです。大切なのは、あくまで「改革」であって「革命」ではないと。だからこそ、フランス革命を批判したんだろうと思います。
宇野:つまり、「自分と意見が違うやつは出て行け」みたいな態度は「答えは唯一だ」という独善的な発想で、それは本来の保守思想じゃないんですよね。
加えて「今の世代のことだけを考えてはいけない」という発想も大切です。バークは「過去の人々とのパートナーシップ」とも言っていますが、過去の世代が大切にしたものも受け継ぐし、場合によっては未来の人達の利益も考えていかなければならない。