いとうせいこう、ハイチの産科救急センターで集中治療室の回診に同行する(9)
あとから聞くと、どうやらウルリケは初ミッションで、現地スタッフとどう折り合っていくかに問題を感じていた。これは紘子さんからも再三聞いていたことなのだが、奴隷革命をなし遂げたハイチの人々のプライドは大変高く、これがいいと思い込んだら新しい手法を受け入れてくれにくくなることもあるそうだった。どう自ら変えようと思ってもらうか、そこが難しい。
ウルリケはウルリケで、他のスタッフとどうチームを組んでいくか迷っているのかもしれなかった。妥協はしたくないだろうが、それなしではチームワークも働かないのだとしたら。いや、問題が他の何事であったにせよ、フェリーは各活動地で出来る最善の医療を提供するという根幹を頑固に貫けと、あえて非医療従事者として言ったのだった。
その医の倫理をもって、彼らは職種が違っていてもひとつにつながっているのだから。
英語でフェリーが話し出したことには、その意味をダイニングにいた全員がもれなく確認するべきだという判断があったに違いない。
たいして休む間もなく、CRUO(産科救急センター)のメンバーはまた病院に行くことになった。しかも、近いから歩くのだという。そこは滞在初日に唯一、昼間なら歩いてもいい道だった。
体格のいいフェリー隊長を先頭に、アナ、オルモデ、空飛ぶ電気技師インゴが外に出た。ウルリケたちはあとから来ることになっていた。いざ歩き出すと、いかに両側がガレキだらけかわかった。たまに現地の子供や青年が日陰に座っていたりして、それはどこかのんびりした光景でもあり、またいつ彼らが石などを投げてきても仕方がないようにも思った。
戦地のつかの間の安定の中を行く気がした。実際、イタリア人のルカはノートパソコンを持っているからという理由で一団に加われず(その命令もフェリーのジョークだったのだろうか)、鉄扉の中で待たされ、ウルリケらと一緒に四駆に乗って俺たちを追い越していった。決して手放しで安全なわけではないのだった。
歩いている集団にもどこか緊張があるように感じると、すたすた先を歩いていってしまうフェリーへの依存心が増した。隊長と共にいればより安全なのだと確信した。しかし谷口さんを後方に置き去りというのもはばかられた。女性の足だとどうしても遅れる。
俺は自分の命を自分で守るべきか、仲間と共にあるべきか究極の選択に迫られていた。額から汗がじわじわ出た。なぜフェリー隊長の足はあんなに早いのか、一方なぜ谷口さんは遅いんだ......。谷口さんは他のスタッフに話しかけられ、答えながら移動していた。
結果わずか5分くらいの歩行で終わってよかったと思う。わりと中途半端で臆病な位置取りのままで、俺は産科救急センターに着いた。
穏やかな時間
女性院長ロドニーがまた俺たちを案内してくれた。リシャーもぴったりついてクレオール語を英語に訳してくれた。フェリーも折々、様子を見に来てくれた。
おかげで俺たちはあらゆる部屋に入ることが出来た。薬品の仕分けをするための少しだけ冷房の効いた部屋や、廊下に貼られた3月8日『女性の日』のポスターに出ている"ハイチ女性の権利向上に尽力した元女性大統領"、薬剤を運んできている職員のTシャツの背中に印刷された日本語「オレ最強」など、しまいには特に見ないでいいものまで見た。
やがて、産後室に俺たちは戻り、写真を撮った母親たちに同意書へのサインをしてもらうのを待った。もちろんMSFでの公式の使用に同意してくれるかどうかを聞くのはリシャーだった。
部屋には何人も母親がいて、赤ん坊がいた。壁にはかわいい動物の飾りなどが貼られていた。保育器の中にいる乳児もいた。その一人は生まれて四ヶ月経っても親があらわれないあいつだった。
例の、ふくれあがる筋肉を申し訳なさそうに縮める姿勢で、リシャーは母親たちに用紙を差し出した。きわめて小さな声でリシャーは何かしゃべった。俺はそれを遠くの丸椅子に座って眺めていた。部屋に女性看護士は二人いた。さらに助手らしき女性も一人いた。みな静かだった。
窓の外から日は強く差し、木の葉と一緒に揺れていた。その木漏れ日の中に一人の若い母親がいて、ワンピース姿で右を下にして寝ていた。子供はその腹のあたりにいて動かなかった。小さな子供だった。母も子も眠りが深いようだった。彼らが幸せかどうかは俺などが決められることではないが、少なくともそうして眠っている間は穏やかだと思った。
やがて母親の髪に木漏れ日が移動した。俺の視線はそこからしばらく動かなくなった。
リシャーが仕事を終えたので、俺たちも帰ろうとして立ち上がり、部屋を出て中庭に面した廊下を歩いた。途中のベンチにあのウルリケが座り、横の現地女性スタッフと熱心に何かを話しているのを見つけた。
中身は知りようもなかったが、彼女が懸命な努力を続けていることがわかった。
続く
いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。