いとうせいこう、ハイチの産科救急センターで集中治療室の回診に同行する(9)
またくわしい報告がある。
今朝帝王切開のオペで生まれ、ついさっき集中治療室に入ってきた乳児だという。危険な状態だったので5分間新生児蘇生を受けて現在に至るが、幸いケイレン等はない。
「OK、トレビアン。このまま様子を見よう」
3人目は他の病院から転院してきた乳児で、母親が妊娠中に痙攣を起こしてしまったのだということだった。
「羊水混濁もあったかもしれないね。人工呼吸補助器は使わずに様子を見ましょう」
やがて奥の超未熟児へと回診は及んだ。
妊娠から30週、生まれてから7日。胃に残ったものはない。体重が増えず、730グラムまで減ってきており、難しい。
ダーン先生は水分量を何度か記録でチェックし、水と栄養の微妙な加減を指示した。
さらにその右の青い光を浴びている乳児には、ダーン先生は見るなり眉根を寄せ、
「小さいね」
と言った。生まれて4日目、感染症の疑いのある子供だそうだった。黄疸が強く出ているので光線が欠かせないらしかった。
他にも、エイズとB型肝炎の疑いで今朝入院してきた、32週の乳児もいた。
さっきまではただ小さいだけのように思っていた壊れやすそうな子供たちが、実はそれぞれハードルの高い困難を持って生まれてきていたのだということが、俺にもよくわかった。壊れそうな体の内部に、さらに自己を攻撃する何かを抱えているのだ。
その困難をどうにかして切り抜けさせようとするダーンたちの日々の努力が、俺には身にしみた。毎日毎日、集中治療室の回診は続くのだ。
ちなみに、女性看護士が報告を担当する子供も中にはいて、それは病院としての方針なのだそうだった。通常医師が行うタイプの点滴を看護士が打つこともあって、それは現地の医療の技術を高め、また看護士のモチベーションを高めるのに役立っていると聞いた。
チカイヌ問答
正午を過ぎて、いったんチカイヌの宿泊地について行った。そこでランチをともにしようと言ってもらったからだった。
激しいでこぼこ道から鉄扉を抜けて涼しい建物の中に入ると、キッチンの横の調理専用の部屋で現地女性が準備を終えていた。サラダ、野菜の炒め物、鶏肉とパイナップルの煮込み、炊きたての米などがあり、中にはベジタリアン用のメニューもあったのを聞いたが、俺は腹が減っていて覚えていない。
次から次へとスタッフは帰って来た。とはいっても、すでに前夜のパーティでみんなと会っているから気が楽だった。おまけに産科救急センターの廊下でも何度も顔を合わせた。俺は遠慮なくテーブルの端に座って彼らのランチをもらった。実にうまかった。食べ終えた他のスタッフがコーヒーを淹れてくれたので、俺はそれも飲んだ。
それぞれがランチを食べ終えてもテーブルのそばにいた。よく見てみると、麻酔科医のウルリケが隣のダーンに、あるいはイタリア人で水・衛生担当のルカに熱心に話をしていた。聞いた側ははかばかしい返事をしない。フランス語で進んでいる会話なので中身がわからなかったが、ウルリケが悩んでいるのは伝わった。確か、昨夜もそんな風じゃなかったかと記憶をたどった。
しばらく俺も動けずにそこにいると、やがてダイニングへの外からの入り口あたりにフェリーが立っていて、英語でこう言った。
「それについては私が答えよう」
思わず振り向くようにすると、フェリーは目の前の椅子の背に両手をつき、ウルリケを見ていた。厳しい顔つきをしていた。
「我々は医療とは何か、その倫理を曲げずにいるしかない。いかなる困難があっても、相手を説得し続けるしかないんだ」
フェリーはまるでアメリカの医療ドラマのチームリーダーのようにそう言い、ほんの少しだけ微笑んだ。ウルリケが何かフランス語で言い、フェリーはそこからフランス語になってしまった。