都知事に都議会の解散権はない......が、本当に解散は不可能か?
衆議院が解散されるとき、議場に衆議院議員が集まり、皆でいっせいに万歳三唱をするシーンは、ニュース報道などでもおなじみで、壮観な光景である。じつは、総理大臣が解散権を行使して衆議院を解散する場合、万歳三唱の直前に、衆議院議長は次のような一文を読み上げている。
「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する!」
では、そこに何があるのか、改めて日本国憲法第7条をチェックしてみたい。
◆日本国憲法 第7条
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
〔中略〕
3 衆議院を解散すること。
〔後略〕
ご覧のとおり、衆議院を解散する事実を公にお示しになる、天皇陛下の国事行為――そのことしか書かれていない。
しかも、「内閣」の「助言と承認」である。とても、権限を定めた条文には見えないし、内閣に属するのが、総理大臣だけでないことは言うまでもない。
また、天皇陛下の国事行為には、衆議院解散の他に「憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること」「国会を召集すること」「儀式を行うこと」などもある。では、これらもすべて、「公布権」「召集権」「儀式権」などとして、総理大臣の独断で実行できるのだろうか。そんな馬鹿な話はない。
もし、憲法第7条から、総理大臣の独断で衆議院を解散する権限の存在を読み解ける人がいるとしたら、なかなか思い込みの激しいひねくれ者であろう。
だが、戦後まもない1952年の夏、当時の吉田茂総理大臣は、内閣不信任決議の「な」の字も出ていない局面で、いきなり超法規的に衆議院の解散を宣言した。そして、実際に解散総選挙も行われてしまった。
もちろん、この解散は憲法違反だとして大きな裁判にもなった。しかし、一国の総理大臣による高度に政治性のある判断に対し、むやみに司法が首を突っ込むべきではないとして、当時の最高裁判所は憲法判断を避けた。
こうした出来事が既成事実となり、60年以上が経過した今でも、「衆議院解散権」という政治的駆け引きの武器が、歴代の総理大臣に連綿と引き継がれているのである。
もっとも、内閣総理大臣は通常、衆議院議員でもある。衆議院の解散権は、自らの立場をなげうって、また候補者の立場から選挙をやりなおさねばならない「諸刃の剣」となっている。そのため、たとえ強力な権限だとしても、軽々しく行使できない歯止めがかかっており、何の法的根拠もないくせに、妙なバランスで保たれている。
小池候補もこれを見習って、都知事に当選した暁には、地方自治法のいろんな条文をテクニカルに解釈しながら、「都議会の解散権」なるものを導き出してみてはいかがだろうか。その結果、どうなっても関知しませんけど。
[筆者]
長嶺超輝(ながみね・まさき)
ライター。法律や裁判などについてわかりやすく書くことを得意とする。1975年、長崎生まれ。3歳から熊本で育つ。九州大学法学部卒業後、弁護士を目指すも、司法試験に7年連続で不合格を喫した。2007年に刊行し、30万部超のベストセラーとなった『裁判官の爆笑お言葉集』(幻冬舎新書)の他、著書11冊。最新刊に『東京ガールズ選挙(エレクション)――こじらせ系女子高生が生徒会長を目指したら』(ユーキャン・自由国民社)。ブログ「Theみねラル!」