自由主義的な世界秩序の終焉
冷戦後の自由主義者は、民族、部族、宗派などへの帰属意識や愛国主義が果たす役割を過小評価していた。古いものへの執着はだんだんに死に絶えて、政治色のない文化に変容するか、よくできた民主的な仕組みのなかで飼いならされるだろうと考えていた。
だが現実には、自由主義者のいう「自由」より、国を愛する気持ちや歴史的な反目、国境や伝統を重んじる人々のほうが多かった。もしEU離脱の是非を問うイギリスの国民投票に教訓があるとすれば、それは、有権者のなかには、純粋な経済合理性よりそうした感情に動かされやすい人々が存在するということだ。
ポピュリスト政治家の思う壺
我々は自由主義的価値観が世界的に認められたと思いがちだが、別の価値観が勝つ場合もある。伝統的な秩序との摩擦がとくに大きいのは、社会的な変化が急激で予測不可能なときと、かつては同一性の高かった社会が短期間のうちに異質な人々を受け入れなければならなくなったときだ。
自由主義者がいくら寛容の重要性や多文化主義の効用を叫んでも、一つの国で様々な文化が共存するのは簡単なことではない。文化的緊張が高まれば、それこそポピュリスト政治家の思う壺だ(「アメリカを再び偉大な国に!」)。郷愁の力は昔ほどではなくなったが、今でも十分恐るべき力を発揮する。
だが自由主義が困難に陥っている最大の理由は、自由な社会の自由は、それを逆手に取る悪意の人物に乗っ取られやすいことだ。米共和党の大統領候補指名がほぼ確実なドナルド・トランプがこの1年間に繰り返し証明しているように(他にもフランスの極右政治家マリーヌ・ルペン、同じくオランダのヘルト・ウィルダース、トルコのレジェップ・タイップ・エルドアン大統領など挙げればきりがないが)、うわべだけの自由を売り物にする政治指導者や政治運動は、開かれた社会の裏をかいて支持者を増やすことができる。そして民主主義のなかには、そうした試みを確実に挫くしくみはない。
【参考記事】民主主義をかなぐり捨てたトルコ