過激化しテロ組織へ走る10代、なぜ社会は止められなかったのか?
2013年末、アミンはクローン病の症状の再発により入院し、数週間学校を欠席することになった。この年8月にアミンは、高校に在学したままでジョージメイソン大学が提供する大学レベルの講義を受けられる名誉あるプログラムに参加し始めたが、これも辞めなければならなかった。
プログラムを辞めてまもなく、両親はアミンが以前よりも室内で長時間過ごすようになっていることに気づいた。両親はアミンの携帯電話やパソコンを覗いて、ジハードやISに関するメッセージを見つけた。
「息子がインターネットにアクセスすることを許したことで、イスラムに関する誤った情報に接したり、良くない人たちに出会ったりするリスクに晒してしまうとは考えてもみなかった」と母親のイブラヒムは書いている。「自分が単に世間知らずだっただけでなく、大切な責任を放棄してしまったと思っている」
息子のネット上での活動に気づいた後、イブラヒムとアミンの継父ヤシル・ラストムは、バージニア州のイスラム教指導者であるモハメド・マジッド氏と面会した。この地域において、過激主義グループに惹かれた若者に対するカウンセリングで有名な人物である。彼はアミンを自分に会わせるようアドバイスした。
散漫な試み
マジッド氏とアミンはスカイプ経由で面会し、話し合った。マジッド氏はアミンに「アル・アクダリ」と呼ばれるイスラム教の文献に基づく講義を行おうとしていた。だが最初の面会の後、両親がアミンから携帯電話とパソコンを取り上げてしまい、アミンは叔父のもとに移ったため、2回目の面会は実現しなかった。
マジッド氏は、アミンのような若者のカウンセリングは何度かやったことがあると話している。彼らは孤独で傷つきやすく、目的意識を求めている。過激主義グループの徴募担当者は、こうした若者に「君たちは英雄で、偉大な目的に貢献できる」と語りかける。マジッド氏によれば、アミンは現実世界では決して感じたことのない万能感をネット上で味わっていた。「人生の節目を迎えて非常に傷つきやすくなる若者に見られる、典型的なパターンだ」と同氏は言う。
最初の面会の後、マジッド氏は叔父の家にいるアミンに連絡し、モスクが主催する1週間のキャンプに参加しないかと誘った。スポーツやハイキング、カヌー漕ぎ、さらにはイスラムに関する講義を含む、ティーンエイジャーを対象とした春の恒例行事である。キャンプの後、アミンは両親のもとに戻った。
マジッド氏は、アミンのようなティーンエイジャーに対するカウンセリングの訓練を受けた、米国内でも数少ない人材の1人である。「アリとの時間が十分だったかは分からない」とマジッド氏は言う。面会は1回、電話で言葉を交わし、キャンプでの交流があったきりだ。「たぶん、彼を変えることもできたとは思う」
ISへの傾倒
元タリバンの徴募担当者で、現在は大学の博士課程で過激主義へのムスリムの介入を研究するムビン・シャイク氏は、2014年にアミンとネット上で言葉を交わしている。シャイク氏は2010年以来、オンラインで過激主義者との交流を続け、彼らの意見を変えようと努力している。
裁判所の記録によれば、アミンのツイッターのタイムラインには、ビットコインを利用してISに献金する方法がつぶやかれていた。オンラインでのセキュリティ確保や暗号化についてのアドバイスも提供していたという。
アミンは2015年、裁判官への供述書のなかで、「これまでの人生で出会った大人たちは、適切な答えを与えてくれなかった」と書いている。「非常に大切で重いテーマに関して、初めてまともに相手にしてもらえるだけでなく、実際にアドバイスを求められているのだと感じた」
シャイク氏はアミンの様子を知ろうとして、2014年4月にメッセージを送っている。この時点でアミンはすでに2カ月にわたってFBIの監視対象となっていた。アミンは、自分と話をすることについて政府機関がマジッド氏と「対立」していたことを知っていると話していた。「自分は何か疑わしいことを企んでいたわけではない。今のところ、よい人間になり、法律上の問題は避けようとしているだけだ」と書いていた。
その夏、ISは2人のジャーナリストの斬首刑を行い、米国はイラクとシリアで空爆を実施した。