『海よりもまだ深く』是枝裕和監督に聞く
――自分が暮らした旭が丘団地で撮ることが大前提だった? 母親が暮らしているのが団地ではなく一戸建てだったらかなり違う雰囲気になったと思うが、団地の「場所性」が物語に与えた影響は?
出身地で撮ることになったのはたまたまなんです。いま東京近郊で撮影許可が出る団地は1つしかない。(映画やドラマで通常使われているのは)ほとんど同じ団地ですよ。みんなが使う団地は嫌だからほかを探したが、許可が出なくて。旭が丘団地には、「監督が出身だからどうしても撮りたい」と頼み込んでもらった。
原武史さんの『滝山コミューン一九七四』と『レッドアローとスターハウス』には、僕が育った西武線沿線と団地の風景というものにどういう歴史的意味や価値があるのかとか、それが東急とどういう対比で生まれて、どう失敗していくのかが書かれている。それを読んだとき、自分の10代、20代はこうやって語れるんだとすごく嬉しかった。だから、いつか西武線を撮りたかったの。西武も団地と同じくらい撮影許可が出ない電車で、今回ようやく出た。
旭が丘団地は西武線の駅から、西武バスに乗っていく。駅から遠いから住民が入れ替わらない。駅前だと人の入れ替わりが多くて建て替えなどの新陳代謝が起きるけど、バスに乗ってあそこまで行くと老人だけなんだよね。
ちょうど団地も50歳だし、主人公も50に手が届くところまで来ている。「思ったところにたどりつかなかった」という主人公の思いを団地に重ねる、なりたかった大人になれなかったものとして団地を描いたということはある。
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――阿部さんが「良多」を演じるのは3作目で、『そして父になる』で福山雅治が演じた主人公の名前も良多。トリュフォーの「アントワーヌ・ドワネル」シリーズのように、主人公を1つの流れでとらえているのか。
単に面倒くさかっただけ(笑)。高校のバレー部の後輩に矢野良多くんというのがいて、彼の名前なの。「良いことが多い」っていい名前だと思っていて、『歩いても 歩いても』で使ったらしっくりきた。名前を考えるのって面倒くさいというか、凝った名前を考えたりするのはなんだか恥ずかしい。
『歩いても 歩いても』は自伝とは言わないけど、亡くなった母親との思い出で書いている部分が大きい。それと同じように自分の経験から立ち上げた作品は「良多」で書き始めちゃう。だから、今回の仏壇を掃除している男は良多なんです。
――キャリアの始まりはテレビのドキュメンタリー番組だが、またドキュメンタリーに戻る可能性は。
両方やれるなら両方やっていきたいと思っています。赤ちゃんポストの問題など調べていることはあるが、今はフィクションのための材料集めになっている。劇映画を撮れる状況にあるので、そちらに比重が傾いている。でも、精神的に健全でいるには両方やったほうがいい。
――自分の中でのバランスという意味で?
うん。予算的な問題を除けば、フィクションの現場って思うようにならないことが少ない。みんな自分のために動いてくれるから。ドキュメンタリーを撮るときのように、自分の思い通りにならない現場に立って、どうしようって考える必要がある。そういう状況がなくなっていくと、硬直化する気がする。監督がいちばん偉い現場じゃない方がいい瞬間がある。