ベトナムの港に大国が熱視線「海洋アジア」が中国を黙らせる
14年ぶりのカムラン湾開港にちらつく赤い影。南シナ海問題に無策の米政権に必要な文明史観とは
かつてソ連軍が駐留したカムラン湾に日米の艦隊が入港 DIGITAL GLOBE/GETTY IMAGES
今、西太平洋で最も熱い視線を浴びている港は、先月上旬ベトナムが中部カムラン湾に開いた国際港だろう。南シナ海に面した軍事的要衝で長く閉ざされてきたが、外国の軍艦や民間船を受け入れることとなった。
中国、ロシア、アメリカ、日本など、世界の大国は皆ベトナムに求愛し、虎視眈々とカムラン湾に軍艦を乗り入れようとしている。ベトナムもしたたかに八方美人を演じ、誰に対してもほほ笑みを絶やさない。
時代をさかのぼれば79年春に、中国が社会主義の弟分を「懲罰」しようとベトナムに侵攻。それと前後するかのように、ソ連はカムラン湾の租借に成功した。ソ連は中越戦争でベトナムを強く支持し、太平洋艦隊の一部をカムラン湾に駐留させた。
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ソ連の戦略はその後、ロシア連邦に引き継がれる。熊(ロシア)は龍(中国)と時に熱愛を演じても、太平洋方面の戦略的な拠点を放棄しようとはしなかった。
カムラン湾の戦略的な地位が忘却された時期もあった。冷戦後の91年、対岸のスービック海軍基地をフィリピンが閉鎖して米軍が撤退。02年にロシアも撤退してからは、カムラン湾は外国に門戸を閉ざした。
ソ連が引いた隙に中国が
米ソ2大国の対立が閉幕し、ソ連が歴史のかなたへ消えようとする。その隙を狙うかのように、南シナ海に躍り出たのが中国だ。ベトナム海軍を駆逐して、南シナ海を自国の内海にしようと主張しだした。
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見かねたアメリカはカムラン湾の「復帰」をベトナムに度々打診。ベトナム戦争という複雑な記憶を乗り越えて、11年にはついに星条旗を掲げた軍艦がベトナム人の歓迎を受けた。
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ロシアもアメリカの行動を意識している。今年に入ってから、ロシアのショイグ国防相はカムチャツカ半島の軍事基地を視察。極東の軍港からベトナムを経てマラッカ海峡に至る、西太平洋の「弧」の強化を指示した。
日本も今月、海上自衛隊の護衛艦「ありあけ」と「せとぎり」をカムラン湾に派遣。その前には練習潜水艦が護衛艦と共にスービック海軍基地を訪れていた。航行の自由作戦を実施中の米海軍への側面支援を担った演習の一環であろう。
西太平洋の海が世界の表舞台に出たのは今に始まったことではない。「海」と「世界の近代化」との関係を分かりやすく描いた学説として、経済学者で静岡県知事を務める川勝平太の『文明の海洋史観』(中公叢書)がある。それによると、近代文明は西洋内部で自己生成したものではなく、「海洋アジア」のインパクトを受けて開花したものだという。