パナマ文書、国務院第一副総理・張高麗の巻
習近平はその頃まだ無名で、福建省寧徳市の副書記などをしており、どこにでもいる普通の地方幹部に過ぎなかった。
97年から深セン市の党委書記となった張高麗は、深セン迎賓館に習仲勲夫妻が住んでいることを知ると、早速自宅を訪問し、「なにかご不便なことがあったら、なんでも申し付けていただきたい」と挨拶に行っている。春節や中秋節など、季節の折々にも必ず習仲勲夫妻のもとを訪れ、何くれとなく世話をした。
習近平が出世するかどうか分からない時期に、すでに政界を引退している習仲勲に敬意を表して足しげく訪れた張高麗を習近平は非常に信頼し感謝したため、張高麗の現在の地位があるという側面も否めない。
なんとも「美談」に見える。
ところが――、張高麗には別の顔があった。
張高麗と娘婿・李聖溌との「金権関係」
張高麗は妻との間に子供に恵まれず、父方のいとこが70年代にフィリピンで他界したので、その娘・張暁燕(ちょう・ぎょうえん)を引き取って養女として育てた。1989年になってようやく男の子が生まれはしたが、張高麗は養女の張暁燕を可愛がっている。やがて彼女が年頃になった1997年、張高麗は張暁燕を香港商人で同郷(隣り村)の李賢義の息子・李聖溌(り・せいはつ)と結婚させた。
1952年生まれの李賢義は、貧乏から逃れるために香港に渡り、ゼロからたたき上げてそれなりの成功を収めていた。1989年には、深センに「信義集団有限公司」を設立している。自動車の窓ガラスを中心として成長し、香港の大陸への返還が実現しそうだという「政治の風」を読み取り、深センに渡る。香港商人として大陸に進出したのだ。
そして香港の大陸返還が実現した1997年、張高麗は深セン市の書記に赴任してきた。
このときには、李賢義の工場は37万平方メートルに広さ、累計資金10億元、2000人の社員を抱える大企業に発展していた。車のガラスだけでなく、ビルのガラス窓のガラスや防弾ガラスなども生産し、「ガラス大王」と呼ばれるようになっていた。
深セン市の書記と深セン市の大企業のオーナーが接触を持つのに時間はかからなかった。同郷のよしみが加わり、結婚は一瞬で決まった。
金と権力。まさに金権関係による婚姻だ。中国では「官商婚姻」と言っている。
香港の中国返還に伴う香港商人への優遇策という大きな流れの商機を、二人は見逃さなかった。
ここから江沢民を巻き込んだ闇の世界が広がり始める。