習近平のブレーンは誰だ?――7人の「影軍団」から読み解く
6. 李書磊(り・しょらい)(1964年生まれ):中国共産党北京市委員会常務委員、北京市紀律検査委員会書記。14歳で北京大学に入学した神童。習近平の政治秘書。
7. 鐘紹軍(しょう・しょうぐん)(生年月日不詳 ):中共中央軍事委員会弁公室主任。中国のネットには、彼に関するいかなる情報もない。皆無だ。すべて削除されている。いつから削除され始めたのか、うっかりダウンロードしていなかったので定かでない。従って彼に関しては、たとえばアメリカにある複数の中文情報などに一部準拠して書くことにする。中国のネット空間で情報が「ゼロ」というのは異常事態で、「何かある」としか考えられないので、少し詳細に書くことをお許し願いたい。
鐘紹軍は習近平が浙江省に移動したときに中国共産党浙江省委員会組織部の副組織部長をしていた。このとき習近平は鐘紹軍を気に入って、2007年に上海市の書記になった時にも彼を連れて行き、中国共産党上海市委員会弁公庁副主任という職位を彼に与え、自分の最も身近な「秘書」として常にそばに置いていた。2007年秋に習近平がチャイナ・ナイン(胡錦濤時代の中共中央政治局常務委員9人)入りして北京の中南海に行くと、鐘紹軍もまた北京に行き中共中央弁公庁調研室政治組組長になる。習近平政権になってから、中共中央軍事員会弁公庁副主任になり、2015年に中共中央軍事員会弁公室主任になっている。
香港の雑誌『前哨』(2015年9月号)によれば、腐敗問題ですでに死刑判決を受けている元中国人民解放軍后勤部副部長・谷俊山を告発したのは劉源ということになっているが、実はその背後には鐘紹軍がおり、彼が劉源に証拠を渡したのだという(筆者が2012年に著した『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』では、筆者も劉源と書いた)。胡錦濤政権から習近平政権に移る直前に、郭伯雄および徐才厚という二人の中央軍事委員会副主席は下野しているが、このときすでに、「2012年財政年度の軍事費6700億元の半分以上は軍幹部腐敗分子のポケットに入っている」ことを突き止めたのも鐘紹軍で、習近平の腐敗撲滅運動と軍事大改革に陰で大いに貢献していたことになる。反腐敗運動で表面に出てくるのは中央紀律検査委員会書記としての王岐山だが、影では鐘紹軍が動いていたということになろうか。
劉鶴に「席を譲った」とされる王滬寧
あまりに鐘紹軍のことが興味深く、つい前置きが長くなってしまい、申し訳ない。本来言いたかったのは、劉鶴に「席を譲った」とされる王滬寧の話だ。
今年4月3日に書いた本コラムの記事「ワシントン米中首脳会談、中国での報道」の冒頭にある写真を見て頂きたい。左側の米側は、一列に並んで座っている。右側の中国側は、この写真ではよく見えないが、やや2列に並んで座っている形になっている。中国側の座り方が見える写真があるので、これをクリックしてみていただきたい。王滬寧が第二列目にいるように見える。一番右の端にメガネをかけている男性が王滬寧だ。