【再録】念願のカダフィ単独取材、私は砂漠の町へ飛んだ
94年当時、夢だったインタビューの機会を手にした元カイロ特派員は、クリントンへの伝言を「革命家」から託された
はるばる砂漠の町へ エジプトのカイロから飛行機でチュニジアのジェルバ島、そこからはタクシーでリビアの首都トリポリへ。さらには、トリポリからプロペラ機で砂漠の町シルトへと向かった。シルトは後に、「アラブの春」で逃亡したカダフィが潜伏していたところを見つかり、殺害された町でもある Joel Carillet-iStock.
ニューズウィーク日本版 創刊30周年 ウェブ特別企画
1986年に創刊した「ニューズウィーク日本版」はこれまで、政治、経済から映画、アート、スポーツまで、さまざまな人物に話を聞いてきました。このたび創刊30周年の特別企画として、過去に掲載したインタビュー記事の中から厳選した8本を再録します(貴重な取材を勝ち取った記者の回顧録もいくつか掲載)。 ※記事中の肩書はすべて当時のもの。
※この記者によるインタビュー記事はこちら:【再録】生前のカダフィは「国民に愛されている」と言っていた
アラブ世界には強烈な個性の持ち主が多いが、リビアの最高指導者ムアマル・カダフィ大佐ほどエキセントリックで興味深い人物はまずいない。
チェ・ゲバラを思わせる革命理論とアル・カポネ流の術策にたけた男に、私は以前から魅力を感じていた。そして本誌のカイロ特派員だった94年、ついにインタビューのチャンスをつかんだ。
私が面会のアポを取るために用いた作戦は、おべっかと駄々っ子風粘り腰を駆使する古典的手法だ。まずカイロのリビア大使館に日参し、取材の件はどうなったかとしつこく尋ねた。また、ニューズウィークの取材に応じれば、世界中に名前を売れると何度も力説した。
当時、カダフィへのインタビューは記者たちの夢だった。遊牧民の血を引くアラブ民族主義者。国際テロリストに甘い理想家肌の革命戦士。外泊するときは自前のテントを持参し、メスのラクダのミルクを飲む男......。
待つこと数カ月、ついに朗報が届いた。リビアの首都トリポリへ行き、次の指示を待てという。だが、国連の制裁下にあったリビアへ向かう飛行機の便はない。
移動手段はマルタから船か、あるいはカイロかチュニジアのジェルバ島から車を使うしかない。私は飛行機でジェルバへ行き、タクシーでトリポリをめざした。
旅の途中、チュニジアでは財布を盗まれた。リビアに入ってからは検問でたびたび止められ、猛烈に暑いトレーラーの中で何時間も待たされた。デービッドという名前のせいで、ユダヤ人ではないかと疑われたことも何度かあった。
ようやくトリポリに着いてから2日後、届いた指示は「じっと待て」。やがて5、6人の警備担当者とともに年代物のプロペラ機に乗せられ、トリポリの東の砂漠にあるシルトへ向かった。
シルトのホテルでは、シュールな数時間を過ごした。いかめしい顔つきの見張り役は、果物と野菜が踊るアラブのアニメに見入っていた。屈強なガードマンが寄ってきたので、思わず身構えると、スコッチを買わないかと聞かれた。
深夜になってからボディーチェックを受け、カメラに爆発物が仕掛けられていないか調べられた。案内された部屋に入ると、民族衣装に赤い帽子の「彼」が座っていた。そばには通訳が1人。カダフィは立ち上がり、私と握手した。
世界中から誤解されている
私が道中の話をすると、カダフィはにんまりと笑った。そして、米政府を揺るがしていたホワイトウォーター事件のことを尋ね、事件はビル・クリントン大統領を失脚させたいCIA(米中央情報局)の陰謀ではないのかと言った。