悪魔のように殺し、聖人のごとく慕われた男
コロンビア麻薬カルテルの帝王を描いた『エスコバル』は人間の矛盾に迫る
悪の道へ ニック(左から2番目)は麻薬王(右)の帝国にひきずり込まれていく(3月12日公開) ©2014 CHAPTER2-ORANGE STUDIO-PATHE PRODUCTION-NORSEAN PLUS S.L.-PARADISE LOST FILM A.I.E.-NEXUS FACTORY-UMEDIA-JOUROR DEVELOPPEMENT
「町に入ると男が寄ってきて、『番号は?』と聞くはずだから『72』と答えろ」──若者はそう指示される。その男に古い鉱山の立て坑まで案内させ、そこにお宝を隠したら、すぐにそいつの頭をぶち抜くという任務だ。
「余計なおしゃべりはするんじゃない。殺すのが嫌になってくるからな」と、コロンビアの麻薬王パブロ・エスコバル(ベニシオ・デル・トロ)は助言する。若者ニック(ジョシュ・ハッチャーソン)は、任務にぴったりの人材だ。まさかカナダ人のサーファーが殺し屋とは、誰も思わない。こんな羽目になったのは、恋に落ちた女の子マリア(クラウディア・トレイザック)が麻薬王の姪だったからだ。
ごく普通の若者が南米で最も凶悪な犯罪組織の一員になり、麻薬カルテルとコロンビア政府の戦争に巻き込まれていく。ニックは架空の人物だが、アンドレア・ディ・ステファノ監督の『エスコバル 楽園の掟』は歴史的事実に基づいた作品だ。
最盛期のエスコバルの年収は300億ドルもあり、世界7位の大富豪だった。満員の航空機を平気で爆破する非情な犯罪者だったが、その一方で貧しい人々のために病院や5000軒の家を建てた。
広大な私有地にはキリンや象もいる動物園があり、3000人の殺し屋を含む私設の軍隊を持っていた。コロンビアでは現代のロビン・フッドと慕われる一方で、年に6000人以上を平気で殺し、1日当たり15トンのコカインをアメリカに輸出した。
麻薬王は矛盾に満ちた人物だった。欲深だが気前がよく、ナルシストだが私心がなく、愛情にあふれ、平気で人を殺した。
ここまで特異な人物を演じるのは、役者冥利に尽きるはずだ。愛する家族の目には大きなテディベアのように見える麻薬王を、デル・トロは完璧に演じている。終盤の政府軍に追い詰められる場面では、迫害される聖人のようにさえ見える。
マリアは天使のように優しく、人好きのする魅力はエスコバル家の遺伝らしい。コカインは「コロンビアの特産物」と単純に考えるマリアは、おじを信頼し切っている。犯罪とは無縁の明朗な若者ニックは、彼女が犯罪組織のボスの姪と知って衝撃を受けながらも、エスコバルの富と権力に魅了されていく。
曖昧になる善と悪の境界
エスコバルは父親のようにニックを気に掛け、ニックの兄が強盗に襲われたときも助けてやる。悪の帝国の「王子」となったニックは、共犯者意識を持ち始める。カルテルと政府軍の戦いは激化し、アメリカも麻薬王を追い始めると、ニックは悪と破壊の渦に引きずり込まれる。