メルケル首相の東京講演
ドイツが歴史認識問題をめぐって謙虚な態度を示しているのにはもう一つの理由がある。メルケル首相が東京に滞在していた三月一〇日、地球の裏側のギリシャの議会では、選挙で勝利を収めた極左政党のチプラス首相が、第二次世界大戦中のナチス・ドイツ占領による損害の賠償を求める考えを議会で示した。パラスケボプロス法相は、もしもドイツがこれに対して真摯に対応しなければ、ギリシャ国内のドイツ政府の資産を差し押さえるつもりがあるとまで述べた。チプラス首相は、「国民に対する未解決の問題が解決されるように努める」と述べ、「戦後賠償は未解決」との立場を強調した。
これは、ギリシャの債務問題をめぐってドイツが緊縮財政を強く求めていることへの反発であることが明らかだ。また、今後のドイツ政府との交渉を有利に進めるための、ギリシャ政府の苦し紛れの政治的なカードであろう。一部の日本人が安易に賛美するほど、ドイツが抱えている歴史認識問題とは単純なものではないのだ。ドイツにはドイツの難しい問題が、数多くある。相手の立場を深く理解することが、よりよき関係を構築する出発点ではないだろうか。
[執筆者]
細谷雄一(慶應義塾大学法学部教授)
1971年生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は国際政治学・外交史。北海道大学法学部専任講師、敬愛大学国際学部専任講師を経て現職。著書に『戦後国際秩序とイギリス外交』(創文社、サントリー学芸賞)など。