メルケル首相の東京講演
「隣国との関係は、いつの時代にも大変難しいものです。そして厳しいものです。しかし戦後ドイツの過去の克服と近隣諸国との和解の歩みは、私たちアジアにとってもいくつもの示唆と教訓を与えてくれます。首相は歴史や領土などをめぐりいまも多くの課題を抱えていますアジアの現状をどうみておられますか。そして、今もなお絶えざる努力を続けておられます欧州の経験をふまえまして、東アジアの国家と国民が隣国同士の関係改善と和解を進める上で、最も大切なものは何だと考えますか。」
このような質問に対して、メルケル首相の応答はきわめて落ち着いた、洗練されたものであった。メルケル首相は「ドイツは幸運に恵まれました」と言い、「ナチスの時代、ホロコーストの時代があったのにも拘わらず、私たちを国際社会に受け入れてくれた幸運です」と述べた。すなわち、フランスやアメリカ、イギリスのような連合国が寛容の精神で戦後のドイツを受け入れてくれたことを、讃えたのである。メルケル首相は歴史和解について、「隣国フランスの寛容な振る舞いがなかったら、可能ではなかったでしょう」と述べ、和解が成立するためには「ドイツが過去ときちんと向き合った」ことと、「フランスの寛容な振る舞い」とこの二つがともに必要であったことを指摘している。これはきわめて重要な指摘であろう。メルケル首相は、日本人の聴衆に向かって「過去ときちんと向き合う」重要性を説くとともに、中国や韓国のような近隣国が「寛容な振る舞い」を示す重要性を示したのだ。この二つがなければ、和解は成立しない。
ところが、翌日の朝日新聞一面では実におかしな表現が掲載されていた。そこでは、「踏み込んだメルケル氏」という見出しをつけて、「メルケル首相が今回の訪日で歴史認識にここまで言及するとは、事前には予想されていなかった」と書いている。「過去の総括、和解への前提」という見出しをつけて、まるでメルケル首相がもっぱら歴史認識問題に焦点を当てて講演を行ったかのような印象を読者に与えている。しかし、そもそも講演ではアジアの歴史認識問題には触れていない。メルケル首相がそれに言及しなければならなかったのは、司会をした朝日新聞の西村陽一氏が歴史認識問題について彼女に質問をしたからだ。まじめなメルケル首相は誠実に、その質問に答えている。主催者であり、司会役をしているにも拘わらず、冒頭で強引に東アジアの歴史認識問題についてメルケル首相に対してアドバイスを要求して、それに返答したことをもって、「歴史認識にここまで言及するとは、事前には予想されていなかった」と紙面で書くのは、いくらなんでもひどい。それでは「自作自演」ではないか。それはまた、あくまで当事者間の対話や平和的な解決を求めて、「アドバイスする立場にない」と謙虚な姿勢を貫いたメルケル首相に失礼であろう。