メルケル首相の東京講演
というのも、中国政府はこれまで、南シナ海の領土問題はあくまでも中国と相手国との間の二国間で解決するべき問題だと主張してきた。そして、アメリカや欧州連合(EU)のような「第三者」がそこに介入することを、厳しく批判してきた。ASEAN諸国と中国との間で二〇〇二年に締結した「南シナ海における関係国の行動宣言(DOC)」に関して、この問題がASEAN地域フォーラム(ARF)で議題とされることに、これまでたびたび抵抗してきた。それにも拘わらず、メルケル首相は中国がそのような合意を尊重することを求めているのである。そのような立場は、日本政府がこれまで繰り返し主張してきたことであった。だからこそ、メルケル首相は、日本とドイツが「国際法の力を守るということに関しては共通の関心があります」と述べ、両国が「グローバルな責任を担うパートナー国家」と論じたのであろう。ウクライナにおける力による現状変更のみならず、南シナ海でのそのような海上通商路をめぐる現状変更的な行動をも批判するメルケル首相の発言は、当然ながら中国政府にとってはきわめて不愉快なものであろう。中国は最近、主権を争う南シナ海の島嶼において、これまでのDOCにおけるASEANとの合意を反故にして、一方的に滑走路を建設している。南シナ海を、自らの管理下に置こうとしているのだ。メルケル首相の発言は、そのような中国の行動を牽制するものであった。
アンゲラ・メルケルは一九五四年に、西ドイツのハンブルクで牧師の父と英語教師の母との間に生まれている。その後、牧師である父は、共産主義国の東ドイツで牧師の数が足りないことも理由となって、「鉄のカーテン」の向こう側の東ドイツに家族とともに移住した。父は東ドイツで教育を受ける娘のアンゲラが、マルクス主義のイデオロギーが濃厚な歴史学や政治学のような文系の学問ではなく、合理的精神を失わないためにも理系の学問を専攻することを推奨したという。その後、科学者としてメルケルは成長し、理論物理学の分野で博士号を取得している。研究者の道を進んでいたメルケルは、統一へ向けて政治が動き始めるなかで次第に政治に関心を示すようになった。メルケルにとって、自由とは尊いイデオロギーであり、また共産主義や専制主義による統制的な社会は嫌悪すべき対象であった。メルケルにとっては、自由や国際法を守るという精神は、自らの東ドイツにおける厳しい生活経験からも譲歩できない尊い価値なのだ。
メルケル首相の講演会に話を戻そう。三〇分ほどの講演が終わると質疑応答がはじまった。朝日新聞社の西村陽一取締役が登壇し、司会進行役となった。冒頭で西村取締役は、「まず最初に主催者を代表いたしまして、私から一問だけ質問をさせて頂きます」と述べた。そして次のように、歴史認識問題に関する質問を行った。