カザフをにらむ孔子学院が、中華思想対イスラムの発火点となる
こうした「親中」ぶりの一方で、実は新疆に住むカザフ人への配慮もある。新疆北部に住む約150万人ものカザフ人の大半は、1917年のロシア革命後の移住者たちの子孫だ。ソ連で遊牧民に対する過酷な定住化政策が導入されていた時期に、それを嫌ったカザフ人は東トルキスタンと当時呼ばれていた新疆側に渡った。
もともと「トルコ系の言葉を話す人々の故郷」を意味するトルキスタン。その一部である東トルキスタンは、ウイグル人にとってもカザフ人にとっても民族の故郷だ。彼らにとって、北京とモスクワの意向で勝手に引かれた国境線は、まさに自由を剥奪された象徴以外の何ものでもない。
ナザルバエフは新疆側で暮らす同胞たちの境遇に目を光らせている。中国政府の高圧的な民族政策が場合によっては民族の新たな大移動を触発する危険性を帯びているので、カザフスタン政府も神経をとがらさざるを得ないからだ。
儒教は伝統的な境界線だった万里の長城を越えるか
孔子に源を発する儒教の思想は歴史的に万里の長城の最西端、嘉峪関(かよくかん)を越えたことはなかった。長城は儒教とイスラムとの境界線でもあった。一度だけ、中国の為政者たちは東トルキスタンで儒教を強制したことがある。19世紀後半にムスリムたちが清朝に対して大反乱を起こし、鎮圧された後のことである。湖南省出身の中国人軍閥が儒教でもってトルコ系住民たちを中華の臣民に改造しようと試みたが、猛反発を受けて失敗に終わった。
今日においても、新疆ウイグル自治区のウイグル人とカザフ人が最も抵抗しているのは中国への同化だ。水と油のように混合不可能な儒教思想とイスラム。孔子学院を武器に中華思想をイスラム圏へ広げようとする野望は、新たな火種になる可能性が高い。
[2015年6月 9日号掲載]