中国からガイジンをつまみ出せ!?
外国人恐怖症より閉所恐怖症
率直な社会批判で知られる北京理工大学の胡星斗(フー・シントウ)教授(経済学)は、中国でナショナリズムが台頭したのはこの数年のことで、経済発展が一因だと言う。だから「外国人の不適切な行為に激しく反発するようになった」。
しかし胡は、中国人はおしなべて外国人には友好的で、問題は「人種的偏見」ではなく「人種の区別」の習慣だと言う。
共産党政権が樹立された49年以来、国民は民族で分類され、身分証明書にも民族名が明記されている。そのせいで「世界をよく知らない人たちは、悪気もなしに『外国人だ』『黒人だ』と口にしてしまう」そうだ。
CCTVの楊の弁明にも、そうした傾向がうかがえる。彼は今でもチャンを「外国の口うるさい女」と呼んでいるし、「クズ外人」の語も撤回していない。
中国に住む外国人なら、たいてい「外人」呼ばわりを経験している。ベルも「家の近所を子供連れで散歩していると、『老外(ラオワイ)だ』とよく指さされる」そうだ。「老外」は外国人の意だが、そんなときはジョークで対抗するのが一番だとベルは言う。「自分の後ろを振り返って、彼らが指さす方向を探してみせるんだ。みんな笑いだすよ」
長年アメリカに在住した文化評論家の洪晃(ホン・ホアン)によれば、多くの中国人にとって、「老外」という言葉に「差別の意図はまったくない」。中国は「外国人恐怖症というより閉所恐怖症に近い。外国人に慣れていないから、そばにいると落ち着かない」のだと彼女は言う。
それでもこうした表現が使われるということは、中国では人種や民族の問題について公的な議論がなされていないという事実を浮き彫りにする。「中国には差別的な表現を控えるという考え方が存在しない。実際、中国人は平気で人の外見をあれこれ言う傾向がある。太っているだの、かわいくないだの。タブーはほとんどない」
結果として、上海のテレビ局のコメンテーターがヨーロッパのサッカーの試合を放映中に選手のことを名前ではなく「黒人」と呼ぶことも珍しくない。数年前、上海のテレビ局のリアリティー番組に黒人を父に持つ中国人女性が登場したとき、彼女と母親はインターネットで中傷された。
胡教授によると、中国社会にはまだ「黒人に対する一般的な偏見」があるという。北京在住の社会学者・ろ盧宜宜(ルー・イーイー)は、「中国人は人種差別的というより、上にへつらい下に威張る。例えば、アフリカ人と聞けば貧しい国の人と考えてしまう」。こうした態度は、裕福なアフリカ人やアフリカ系アメリカ人と接することで徐々に変わっていくだろう。
だが香港大学のフランク・ディケーター教授は、中国には昔から「人種的ステレオタイプが浸透しており、肌の色や黒に対する根深い固定観念がある」と言う。そうした「人種差別を正当化するために中国人が使う二重基準にはうんざりする」。
中国政府も、当初から外国人を異質なものと見なす考え方を正当化してきたとディケーターは指摘する。共産党支配の初期には、外国人はおしなべて悪しき資本主義者とされ、友人として中国に迎えられた外国人は「特別な存在」とされていた。
おそらく、中国にいる外国人がその国の代表、あるいは外の世界の代表と見られがちなのは偶然ではない。特に外国人が悪いことをしたときはそうなりがちだ。それは歴史教育の重点が19世紀のアヘン戦争とその後の外国人による犯罪行為に置かれてきたせいでもある。北京でのイギリス人暴行事件とロシア人チェロ奏者の件も、個人の悪行というより、不良外国人の脅威を象徴するものとして取り上げられた。
だが盧は、外国人への見方は逆転することもあるという。中国のマスコミは最近、外国人が中国人を助けたという美談を大々的に報道している。「突然、外国人のほうが公徳心に富んでいるとマスコミは言いだした」
こうした価値観の逆転を見事に言い当ててたのが「美しき帝国主義者」という言葉だ。同名の著書の中で、アメリカ人の国際政治学者デービッド・シャンボーが中国人のアメリカ観を要約するものとして紹介した。しかし文化評論家の洪晃は、こうした外国人観の急激な変化が国民を戸惑わせていると指摘する。