改革派エルドアンはプーチン並みの強権主義者
果たしてジャーナリストや学者、メディアを攻撃しているのは正義を振りかざす検察当局なのか、あるいは政敵を排除したいエルドアンなのか。いずれにせよ、エルドアンが一連の逮捕を支持しているという事実からは、彼が強権的な手法を黙認しており、トルコの民主主義がその犠牲になっていることが透けて見える。
検察官を制御できない
「私たちは日に日に法の支配から遠ざかっている」と、トルコ産業連盟の会長であるユミット・ボイナーは言う。EUの欧州委員会で加盟国拡大・欧州近隣国対策を担当するシュテファン・フィーレ委員も、トルコで「ジャーナリストや作家、学者や人権活動家に対する訴訟や捜査が多い」ことに深刻な懸念を表明している。
政権に就いてから10年。与党・公正発展党(AKP)の指導部は、支離滅裂どころか被害妄想にさえ陥っている。
だが無理はないのかもしれない。何度も選挙で勝利しながらも、AKPはこの10年ほぼ絶え間なく、「国家の中の国家」と呼ばれる人々──世俗国家の番人を自任する裁判官や軍人たち──から攻撃を受け続けてきた。現実に軍の一部が、暗殺や爆弾テロ、デマなどによって政府の不安定化をもくろんできた証拠もある。
今やエルドアンのトルコは、強権的な軍政下にあった80年代に逆戻りしつつある。
革命の立役者が、いつの間にか旧体制と同じ独裁者に変身してしまう。そういう権力の誘惑は常にある。投獄されたあるジャーナリストは、イスタンブールの法廷でこう述べたものだ。「旧体制を転覆した勢力にも、必ず旧体制の残した悪い種が引き継がれている。これは歴史の証明するところだ」
クルド系住民との和解協議を妨害されたことを受けて、エルドアンはいずれ、これまで自分にとって有利に動いてくれていた検察官たちがもはや制御不能であることに気付くだろう。それでも彼らを罷免したりすれば、政府による司法への介入だという批判が起こることは避けられない。
しかしトルコの司法制度が破綻しており、それがエルドアンの標榜する「先進的な民主国家」を実現する上で深刻な障害となっているのも事実だ。
反対派を投獄すればするほど、批判の声は高まるもの。似た者同士のプーチンともども、エルドアンにはこの事実に気付いてほしい。
[2012年3月 7日号掲載]