欧米に噛みつくトルコの豪腕宰相
08年の憲法改正に対し、世俗派は政教分離の原則を脅かす動きだと反発。裁判所は、AKPと党幹部たちの政治活動を禁止しようとした(失敗に終わった)。
もっとも、エルドアンにしてみれば、この問題は宗教の問題というより人権の問題だった。
「(エルドアンにとっては)個人的感情を強く動かされる問題だった」と、エルドアンに近いAKP所属の元国会議員は言う(首相の家族を話題にしていることを理由に匿名を希望)。「(彼自身は)娘たちを海外の大学で学ばせる財力があった。だが、経済的ゆとりのない家庭がイスラムの信仰を優先すれば、娘の将来のための教育を諦めざるを得ないのは、正義に反すると思っていた」
「異論に耳を貸さない」
政治家としてのエルドアンの行動は、しばしば個人的な経験の影響を強く受けている。「イスタンブールのスラム地区で育った貧しい日々を忘れていない」と、AKPの選挙対策担当者の1人は言う。「(エルドアンの)ものの考え方の中心を成しているのは、何よりもそのときの経験だ」
政治が個人的な性格を帯び過ぎるときもある。エルドアンはロシアのウラジーミル・プーチン首相に似て、ストリートファイター的な闘争本能の持ち主だ。トルコ政府は09年9月、脱税を理由に、トルコ最大のメディアグループであるドアン・グループに25億ドル相当の罰金を科す決定を言い渡した。これは、同グループが政府批判を繰り返してきたことに対する報復と見なされている。
「誰の意見にも耳を貸さなくなった」と、CNNトルコのキャスター、メフメット・アリ・ビランドは言う。「昔はメディアを好み、対立派と冗談を交わし、議論をしたり、時には意見を求めたりもした。今は、何千人もの従業員を擁する巨大メディアグループをつぶし、反対派を沈黙させ、自分の息の掛かったメディアをつくろうとしている」
エルドアンは国民と乖離した傲慢な指導者になりつつあると、トルコの政治ウオッチャーたちは指摘する。一般市民がエルドアンにやじを飛ばすなどしたために逮捕されたり、暴力を振るわれたり、投獄されたりした例が少なくとも5、6件はあると、ジャーナリストのブラク・ベクディルは言う。
欧米の友好国の不安を最もかき立てているのは、エルドアンがイランのマフムード・アハマディネジャド大統領のような人物と親しげに振る舞っていることだ。5月にアハマディネジャドと抱擁を交わし、「良き友人」と呼んだときは、アメリカ政府が激怒した。エルドアンは、いったい何を考えているのか?
1つには、欧米諸国から「子分」のように扱われたくないという強い思いがある。「トルコの外交政策には、インドネシアやブラジルといった、ほかの新興諸国と共通する要素が見て取れる。欧米以外が国際政治の主導権を握ってもいいはずだと感じている」と、シンクタンク、ジャーマン・マーシャルファンド(米ワシントン)のトルコ研究者イアン・レッサーは言う。
こうした姿勢に、イスラエルに対する過激な発言が相まって、エルドアンは多くのアラブ人の間で英雄的な存在になっている。何しろ、パレスチナのガザ地区を「収容所」と呼び、パレスチナのイスラム原理主義武装勢力ハマスを「テロ組織」と位置付けることを拒んでいるのだ。
冷静な商業上の計算も
しかしトルコ外交の指針は、イスラム教がどうこうというより、産業界の利害によって決まっている。「トルコの経済成長の源は、ヨーロッパではなく、ロシア、中央アジア、ペルシャ湾岸諸国だ」と、レッサーは言う。「トルコが東を向いているのは、(経済上の判断であって、安全保障上の)判断ではない」
前出の元国会議員によれば、トルコが経済危機を克服し、以前より力強さを増したことに、エルドアンは誇りを感じているという。
いまエルドアンにとって最大の目標は、軍人ではなく国民が国の未来を決める国をつくること。いずれは傲慢な態度と露骨な反対派弾圧が反感を買って、国民により選挙で政権から引きずり降ろされるに違いない。
それでも、そのときまでにトルコが今より分裂を克服し、近隣諸国と友好的な関係を築いていれば、エルドアンのギャンブルは大成功だったことになる。
[2010年9月29日号掲載]