イランの天敵はモサドの鬼長官
02年に長官に就任したダガンは、持ち前の攻撃的なスタイルをモサドに持ち込んだ。長いこと軍人畑を歩み、モサドの内部で仕事をした経験がなかったことが、かえって大胆な改革をやりやすくした。ダガンはすぐに組織の大幅な刷新を断行し、他の情報機関との縄張り争いを開始した。
このやり方は外部に敵をつくることになった。ダガンは軍情報部やシンベトなどと予算の獲得競争を繰り広げ、他の情報機関に対するあからさまな妨害工作を部下に指示し始めた。
さらにモサドの内部にも敵をつくった。ダガンはモサドの現地事務所を抜き打ちで視察し、工作員たちを怒鳴り付けた。ボスの逆鱗に触れた工作員は次々に辞職したが、本人は「辞めたい奴は辞めろ。一から組織をつくり直せばいい」と言い放ったという。
ネオコンそっくりの主張
ダガンはモサドの暗殺ターゲットのリストを大幅に削り、今後は2つの脅威に組織のパワーを集中させると宣言した。1つはイラン。もう1つはイランの支援を受けた組織(ヒズボラ、ハマス、イスラム聖戦)などによるテロ攻撃だ。
「リストを短くしろ」と、ダガンは言った。「何もかもできるようなふりを続けていると、結局は何一つできないぞ」
この集中戦略は、すぐに効果を挙げ始めた。イスラエルとアメリカの情報機関は02年後半、イランがパキスタンの核科学者アブドル・カディル・カーン博士の協力を得て、ナタンズにウラン濃縮施設を建設している事実を突き止めた。この情報は翌年になって公表され、国際社会は騒然となった。
その後、イランでは謎の「事故」が相次ぎ、ウラン濃縮活動に遅れが出るようになった。科学者が行方不明になる、研究施設の火災、核開発関連の物資を積んだ航空機が謎の墜落││その一部はモサドの破壊工作だと、情報機関の消息筋は打ち明ける。
ダガンの改革が成果を挙げると同時に、モサドの予算も増えていった。現在では「欲しいものは何でも手に入る」と、モサドの元高官は言う。
だが一方では、大きくなり過ぎたダガンの政治的影響力を懸念する声も出始めた。アメリカがブッシュ政権だった時代、ダガンは新保守主義(ネオコン)グループの当局者と密接な関係を築いていた。
なかでもシリアに対するダガンの強硬姿勢は、アサド体制はイランにべったりだというブッシュ時代のネオコンの主張とそっくりだ。数年前、イスラエルに駐在していたヨーロッパのある情報機関の当局者はこう振り返る。「(ダガンは)米政府の政策に合わせて動いているかのような印象を受けた」
それでもイランの脅威に対するダガンの強い危機感は、多くの国の専門家が共有している。ダガンが07年の報告書でイランの核開発を軽視したCIA(米中央情報局)に異論を唱えると、ドイツ、フランス、イギリスの情報機関がそろって同調した。
それにイスラエルでは、政治的影響力が軍事的勇猛さと強く結び付いている。それを考えれば、政治指導者の間でダガンの意見が力を持っているのも不思議ではない。
ダガンはモサドの立て直しを任され、成功を収めた。問題は長期的にみて、この人物の攻撃的スタイルはイスラエルの敵にとって危険なのか、それともイスエル自身にとって危険なのかだ。
(筆者はイスラエルの日刊紙イディオト・アハロノトの政治・軍事担当シニアアナリスト)
[2009年12月23日号掲載]