「食べることがやめられない」...心の病気に苦しむ母を救えなかった私の後悔
I Couldn’t Understand My Mom
健康関連の記事を執筆しながら博士課程で学ぶガイアー SHERRIE PAGE GUYER
<もしもあの頃に適切な治療薬があったなら...。母が患っていたのはBEDという精神疾患だった>
「そりゃね、たくましいゲルマン民族の血を引いてるから」
病的なほど太っていた母は、よくそう言っていた。「ラバが倒れちまったら、昔の人は代わりに自分で犁を引いて畑を耕したものさ」
だから母も体が大きいんだと、最初は思っていた。でも、少ししたら気付いた。ハロウィーンとか復活祭のキャンディーが、一晩で消えてしまう。クリスマスのクッキーも、来客用に焼いた特大のケーキも、私たちが食べる前に全部なくなっていた。
母にとって、甘いものは麻薬だった。母の車の運転席の下はキャンディーの包み紙でいっぱいだった。朝早くに起き出して、前の晩に食べ尽くしたクッキーやアイスクリームを買い足しに行く姿も目にしていた。
幼い頃は、その話はしちゃいけないと思っていた。秘密には触れないのが一番と信じ、黙っていた。みんな気付かないふりをし、母も気付かれていないふりをしていた。
でも中学生の時、両親が離婚し、環境が変わった。父と弟は遠くに引っ越してしまい、私は母と、母の過食に向き合わなくてはならなかった。
真の姿をさらした母
高校生になると、母を問い詰めるようになった。「チアリーダーの謝恩会用に焼いたケーキ、どうしちゃったの?」。答えは分かっていたけど、言わずにいられなかった。
その頃の私は、学校で人気者になりたくて必死だった。みんなに受け入れてもらいたくて、ひたすら明るいチアリーダーを演じていた。母はあきれていた。一方で私は、まだ気付いていなかった。実は母も私と同じで、周囲の人に受け入れてもらいたい一心なのだということに。
ある日、買い物に行く母に私は言った。そこのスーパーに写真の現像を頼んであるから受け取ってきて、と。
夕方、帰ってきた母の買い物袋を開けてみたが、写真がない。なんで、と私は叫んだ。
母は青ざめ、無言で私を車に乗せ、近くの建設現場まで行って、大型のゴミ箱を指さした。ふたを開けると一番上にスーパーの袋があり、中に大きなドーナツの空箱2つと、私の写真が入っていた。
そう、母はまだ私を愛してくれていた。だから大事な写真を取り戻してくれた。あえて自分の、真の姿をさらしてまで。