「天職はブライズメイド」──結婚式から「出会いと人生」を学ぶ、この素敵な仕事について
“I’m a Professional Bridesmaid”
顧客の「人生最良の日」を支えるソフトスキルが重要だと語るグランツ(写真中央、正面向き) YANA PASKOVAーTHE WASHINGTON POST/GETTY IMAGES
<「うまくやれるからだよ」というルームメイトの後押しで経験をビジネスに。結婚式のドタキャンや喧嘩など醜い人間ドラマがあっても、やめられない訳とは?>
ブライズメイド(花嫁付添人)を初めて務めたのは22歳のとき。20代半ばになるまでには友達のほぼ全員が結婚し、私のブライズメイド歴は12回に達しようとしていた。
2014年6月のある夜、そこまで親しくない友人2人から、ブライズメイドになってほしいと立て続けに頼まれた。「どうしていつも私なの?」とルームメイトに愚痴をこぼしたら、こう言われた。
「うまくやれるからだよ」
それなら他人のブライズメイドもできるのでは? そうひらめいて、オンライン広告を出してみることにした。
2日後には、ブライズメイドを雇うことに関心があるというメールが300件以上届いていた。これはビジネスになるかもしれないと思った。
当時、事業経験はなかった。大学で詩を専攻した後、コピーライターとして働いていたが、おかげで文章を読んで、求めているものを把握するスキルが身に付いていた。
すぐにブライズメイドサービスのウェブサイトを開設し、その1週間後に最初のクライアントに出会った。ミネソタ州在住のアシュリーだ。
もらったメールには、数年前に母親を亡くしたと書かれていた。ブライズメイドを頼んだ親友が嫉妬して、結婚式を妨害しようとしたという。同じ女性として頼れる仲間がアシュリーには少なかった。
強烈な孤独を感じる体験は誰もがしている。だから、彼女のメールに心を動かされた。
14年9月、私はミネソタへ行った。結婚式前夜はアシュリーと遅くまで語り合い、当日の朝は友達の場合と同じように花嫁を起こし、ヘアメークに立ち合い、ドレスの着付けを手伝った。
トラブルも解決した。8年以上がたった今も、アシュリーとは連絡を取り合う仲だ。オーストラリア在住の男性2人から依頼を受けたこともある。
当時、オーストラリアは同性婚を認めておらず、彼らは結婚するために私の住むニューヨークへやって来た。とても素敵な人たちで、忘れられない体験をした。彼らとも、今も連絡を取っている。
華やかそうに見えるが
この仕事をするうちに、私を雇う人は2つの種類に分かれると気付いた。