中絶も自慰も「罪」と信じたカトリック女性が、中絶手術を行う医師になった理由
An Abrupt Change on Abortion
性をオープンに語るリンカーンのティックトックには約300万のフォロワーが DR. JENNIFER LINCOLN
<少女時代にカトリック信者として刷り込まれた「タブー」を乗り越え、生殖の自己決定権は女性のものだと訴える>
産婦人科のインターンとして私が初めて人工妊娠中絶の手術を行ったのは、2007年9月のことだった。自分の誕生日と重なったので、日付もはっきり覚えている。
その数年前まで、私は自分が子供をおろしても他人にそうした手術を行っても地獄に落ちると信じていた。
私が生まれたときに共に10代だった両親は、娘が同じ轍を踏まないように気を付けた。私をカトリック系の学校に入れて婚前交渉は厳禁だと戒め、医学の道を勧めた。2人にとって、医師は成功と安定を約束する職業だったのだ。
小学4年生の性教育を親の方針で受けられなかったのは、学年で私1人だけだった。
高校もカトリック系の女子校を選んだ私は禁欲の誓いを立て、自慰を罪と見なした。結婚まで純潔を守りカトリックの掟に従う限りは女の子も好きな職業に就ける、という学校の教えも受け入れた。
大学進学後も誓いを守ったが、2年生でセックスを経験した。避妊は時々コンドームを使う程度で、やがて生理が遅れた。妊娠してはいなかったが、この一件で避妊の必要性を思い知らされた。
ふしだらな娘だとみんなに知られてしまうと怯えながら、経口避妊薬(ピル)の袋を手に地元のクリニックから出てきたときの恥ずかしさは、一生忘れられないだろう。
予期せぬ妊娠が引き起こす絶望を間近に見たのは、医学部に進んでからだった。多くの妊婦が貧困や暴力に苦しみ、レイプの犠牲になっていた。純潔や中絶について聞かされてきた話や「掟」に、私は疑問を持ち始めた。
卒業する頃には産婦人科医を志し、リプロダクティブ・フリーダム(生殖に関する自己決定権)は女性のものだと確信していた。インターン先にオレゴン健康科学大学を選んだのも、人工妊娠中絶の研修が充実していたからだ。
初めての手術を終えて気付いたこと
なのになぜ、初めての中絶手術であれほど心が揺れたのか。手を洗って手術着を身に着け、手術に臨もうと腰を下ろしながら、私は自分が自分でなくなった気がしていた。終わると誰もいない部屋に逃げ込んで、手術中は封じていた感情と向き合った。
深呼吸をして気付いた。手術は私の人間性とは何の関係もなく、大事なのは患者に自由を与えたことなのだ、と。これで迷いは消えた。
一方で、純潔を重んじる文化に打ち勝つのが難しいことも悟った。多感な時期に女の子の価値は性体験の有無で決まると教えられたら、その刷り込みは簡単に消えない。