多額の寄付が殺到中...支援団体スタッフが語る、ウクライナ難民が求めているもの
“I Delivered Aid to Ukrainians”
国境地帯に支援物資を届けた筆者のジェイコブソン(左)とオズボーン REFUGEASE
<ハンガリーなど周辺国に着の身着のまま逃れてきた膨大な数のウクライナ難民には、受け入れ先の確保と息の長い支援活動が必要だ>
難民支援団体で働いている私はこれまで大勢の避難民に対応してきた。それでもロシアの侵攻後、ウクライナから逃れてくる人々の数とそのスピードには圧倒された。進軍後わずか2週間で250万人を超えたのだ(編集部注:その10日後には人口の4分の1に当たる1000万人が国内外に避難したと国連が発表)。
イギリスに本部を置く私たちの組織・レフュジーズはこの戦争が始まるまでウクライナ難民を扱ったことがなかった。レフュジーズの公式サイトにはネットショッピング方式で寄付ができる「援助ショップ」がある。2月末、私たちはこのショップに「ウクライナ向け援助」を加えた。すると、すぐさま多額の寄付が集まり、驚くほど多くの人がウクライナ人の苦境に心を痛めていることが分かった。
レフュジーズの創設者で代表を務めるバレンティナ・オズボーンと私は現場に行って、直接ウクライナ難民の声を聞き、ほかにどんな支援が必要か探ることにした。
3月7日にハンガリーに飛び、ウクライナとの国境から300キロほどの南部の都市セゲドにいる支援活動家と合流。そこから3.5トンのトラックに物資を満載して国境の村ティサベックスに向かった。
ハンガリーの国境地帯では、各検問所で主要な支援団体がウクライナから来る人々の世話をしていた。私たちはそれらの団体に食料や衛生用品など支援物資を配布した。
難民のほとんどは女性と子供
国境の向こう側にウクライナ各地から逃れてきた人々が長い列を成していた。ほとんどが女性と子供だが、高齢男性の姿もちらほら見掛けた。検問所を通過した人々は数キロ先に設置された難民受け入れセンターにバスで移動する。
初日の帰路では、空になった荷台に首都ブダペストに向かう4世代の一家を乗せた。90歳くらいの女性、70代のその子供と連れ合い、その夫婦の娘と彼女の息子。娘は臨月間近だった。一家は3日かけて国境にたどり着き、ドイツに住む親族の元に向かおうとしていた。娘の夫はウクライナに残ることになったのだろうが、あえて聞かなかった。
ブダペストに着いたのは真夜中。駅で別れを告げると妊娠中の娘は私をハグした。涙でいっぱいの彼女の目は感謝を伝えつつも心細そうだった。後ろ髪引かれる思いで駅を後にした私は、後日無事ドイツに着いたとの知らせを受けて心底ホッとした。