ヘレン・ケラーの存在まで疑うネット上の陰謀論
Too Saintly to Be “Real”
残念ながら、そんな偽情報は今もはびこっている。冗談めかして書いてあって、投稿者の責任が問われないような仕掛けもしてある。だが「最初はジョークだったとしても、彼らが障害者を傷つけている事実に変わりはない」と言うのは、耳と目が不自由な人権派弁護士のハーベン・ギルマだ。「障害者なら、誰もがどこかで経験している。『あんた、ふりをしているだけだろ』と突き放される瞬間を」
校長に「嘘つき」と批判されて
ケラーが初めて嘘つき呼ばわりされたのは11歳の時だ。自分で書いた寓話的な物語を盗作と決め付けられた。そして学校で、先生たちによる「裁判」を受けた。検事役の先生たちは既存の作品との類似点を列挙した。そして判事役の校長先生は、ケラーを「嘘つき」と断罪した。
彼女にはショックだった。つい昨日までは自分を「障害者のかがみ」扱いしていた大人たちが、急に態度を豹変させたからだ。「その晩はベッドに潜って泣いた。こんなふうに泣くのは私だけでいいと思った」。ケラーの自伝にはそうある。
オジックによれば、この自伝が1903年に出たときもケラーは嘘つき呼ばわりされ、彼女の知識は全て「聞きかじり」だと非難されたのだった。
『ヘレン・ケラーの急進的な生活』(邦訳・明石書店)を書いた歴史家のキム・ニールセンによれば、ケラーはそんな非難の矢を「できるだけジョークでかわそうとした」が、「それで彼女が個人的に傷ついたのは間違いなく、彼女が自立して生きていく上で妨げになったのも事実」だ。「結果、彼女が生きて稼ぐ能力は妨げられた」とニールセンは書いている。
実際、ケラーの政治的な主張は当時としてはリベラル過ぎた。それで「左翼」呼ばわりもされた。ロシア革命の起きる前年(1916年)、ケラーは全米黒人地位向上協会に100ドルを寄付している。当時としては大金だ。そのとき同封した手紙には、「こよなく愛する南部の地で、抑圧された人々が涙を流していることを心から恥ずかしく思う」と記されていたという。
しかし地元アラバマ州の新聞は、ケラーに政治的判断力はなく、周囲の人間に操られているだけだと論じた。あの女は社会主義者で、それというのも「肉体の発達に限界があるからだ」と書いた記者もいる。
年を重ね、名声が高まれば高まるほどケラーは生きづらくなった。ニールセンによれば、1920年代の彼女は行き詰まっていた。もう自分自身について書くことには飽き、政治への傾斜を深めていたのに「世の編集者や読者が望むのは依然として、障害を克服した人間の強い言葉だけ」だったからだ。