駐日大使キャロラインとケネディ家の「遺産」
次期大使への起用が報じられたケネディは父の築いた強固な日米同盟を発展させる
政治一家に生まれて 華やかなケネディの駐日大使就任は日本でも歓迎されるだろう Brian Snyder-Reuters
この人事には、「ケネディ家の遺産」が一役買ったのかもしれない。故ジョン・F・ケネディ大統領の長女、キャロライン・ケネディが次期駐日米大使に任命される見込みだと、先週米メディアが一斉に報じた。
彼女の起用は、長年ケネディ家が日米関係のために築き上げてきた功績があったからこそだろう。60年代、父ケネディと叔父ロバート・F・ケネディは日米同盟の変革のために奮闘。政略結婚のようだった両国関係を、真の同盟関係へと発展させた。
第二次大戦後の日米の同盟は政治・軍事領域にとどまり、両国関係は緊張をはらんでいた。50年代にはアメリカの軍や外交関係者は日本を信用ならない格下の同盟相手と見なしていた。
日本にとっても、アメリカは、疑わしい同盟国だった。中国から距離を置くよう要求し、ソ連との核戦争に日本を引きずり込みかねなかった。不安が頂点に達したのは60年の日米安保条約改定。冷戦の危機感が日本人を脅かし、反米感情は高まった。
東洋史研究者のエドウィン・ライシャワー(後の駐日大使)は、こうした危うい日米関係を懸念し、より広範囲で強固な関係を築くべきだと提唱した。これに目を付けたのがケネディ大統領だった。
当時ケネディは、64年の大統領選での再選を見据え、外交的な成果を狙っていた。そこで、現職大統領として初となる訪日を計画。それに先立ち、弟で司法長官のロバートと、その妻エセルの訪日を62年に実現させた。
ロバートの訪日は、日米関係が大きく進展するきっかけとなった。ロバート夫妻は形式ばった会見を避け、一般の日本人と積極的に交流や対話を重ね、スターの力を見せつけるとともに親しみやすさで人々を魅了した。
ロバートは、労働者や左翼学生団体など、最も手ごわい反対派にすら好印象を与えた。特に、学生の怒号が飛び交うなか行われた早稲田大学での講演では、反対派にも堂々と議論を呼び掛け、強い印象を残した。
ケネディ大統領は63年に凶弾に倒れ、自身の訪日はついにかなわなかった。だがロバートの訪日後、日米は協力してさまざまな団体を設立し、より深く、広範囲な交流を展開して国民の支持を得るようになっていった。