世界中の90%以上を生産...「半導体の盾」TSMCは台湾を守れるのか? むしろ中国を駆り立てるのか?
CHOKE POINT FOR CHINA
「中国はとても貧しかった。中流層も含め、大半がとても貧しい暮らしだった」と、チャンは2007年のインタビューで回想している。移住先のアメリカは社会も政治も教育も先進的で、「最初に来たときはパラダイスだった」という。
その後、半導体大手テキサス・インスツルメンツ(Texas Instruments Inc.)で25年間働き、1983年に退職した。新しい仕事は決まっていなかったが、経営手腕と技術の知識を併せ持つ稀有な人材だったチャンは、他の企業や事業パートナーにとって魅力的な存在だった。
80年代の蒋経国(チアン・チンクオ)政権で行政院政務委員(無任所相に相当)を務めた李国鼎(リー・クオティン)が目を付けたのも無理はない。
人材発掘の名手だった李にとって、宙ぶらりん状態の中国系アメリカ人のチャンは格好のターゲットだった。台湾では半導体市場への本格参入を目指す機運が高まり、チャンはリーダー役として最適な人物にみえた。
「開発」と「販売」を放棄する
新竹サイエンスパークでTSMCのグローバル本社やチャンの名前を冠した建物の隣にあるミュージアム「台積創新館」には、87年に台湾政府に提出した最初の事業計画の電子コピーが展示されている。チャンは半導体の製造プロセスを4つの段階に分けて考えた。
第1段階は開発だ。IC基板の設計と、何を、なぜ作るのかという計画を立てる。第2段階はそれらの製品を実現させるための技術を開発する。第3段階で製品を製造し、第4段階で顧客に販売する。