「敗者の日本」に学ぶ、台湾半導体の過当競争からの「出口戦略」とは?
LESSONS FROM JAPAN
ソニーのトランジスタ工場(1960年) AP/AFLO
<絶好調に見える台湾半導体が、価格競争に走るのは短期的には有利。しかし、長期的には他国とのイノベーション競争に晒される。台湾が取るべき道は戦後日本の「垂直統合強化」だけ>
台湾の半導体産業は一見したところ、大いに成功している。
台湾積体電路製造(TSMC)が、世界の半導体受託製造(ファウンドリ)市場に占めるシェアは53.4%だ。次点のサムスン電子(韓国)が16.5%だから、圧倒的な強さと言えるだろう。それでも、今後も世界の半導体市場で競争力を維持し続けるためには、大掛かりな業界再編が必要となる。
そこで参考になるのが、日本の経験だ。旧通産省は1971年、日本にはコンピューターメーカーが多すぎて、米IBMが前年に発売したメインフレーム「システム/370」に対抗できないと考えた。そこで既存の6社を日立製作所と富士通、NECと東芝、そして三菱電機と沖電気の3チームにまとめることにした。
国内メーカー間の競争を抑えれば、それぞれの市場支配力が高まり、もっと研究開発に投資できるようになると考えたのだ。その背景には、過当競争に対する懸念があった。
第2次大戦後の日本の高度成長の方向性を定める上で、「過当競争」の概念は重要な役割を果たした。市場経済に健全な競争は不可欠だが、国内メーカーが世界市場で過度にシェアを奪い合うと、アメリカやイギリスのメーカー(それぞれ国内に競合他社がさほど多くない)よりも一貫して利益率が低くなることに通産省は気が付いた。
そこで通産省は50年代、繊維産業に介入して競争を抑制し始めた。ライバルが多すぎると不要な価格競争が生じて、利益率が下がり、研究開発投資が難しくなると考えたのだ。後に通産省は、エレクトロニクスや自動車といった資本集約型産業にも介入して競争の抑制を図った。
具体的には、特定の技術目標で企業間連携を推し進め、中小企業を大規模な系列に組み入れさせた。このように過当競争を防いでイノベーションを刺激するアプローチは、日本の産業政策の中心的戦略になった。
日本の戦後の過当競争が懸念された状況は、現在台湾の半導体産業が直面している状況とよく似ている。