「PCはカウンター・カルチャーから生まれた」服部桂の考える、人間を拡張するテクノロジー
服部)スチュアート・ブランドは、アメリカのカウンター・カルチャーの代名詞的存在です。彼は「宇宙船地球号」を唱えた思想家バックミンスター・フラーから強い影響を受け、「Access to Tools」(DIYの精神)というコンセプトのヒッピー向けカタログ雑誌「ホール・アース・カタログ」を作り、ヒッピーたちのコミューン暮らしに必要な道具や自然科学の知識の紹介まで、幅広い情報を載せました。1968年の創刊号の表紙には宇宙に浮かぶ地球全体の写真が載りましたが、それはアポロ宇宙船が撮った人類がいままで実際に見たことのない丸い地球の姿で、NASAにこの写真の公開を求める運動まで起こして手に入れたものです。国境や冷戦も関係ない美しい青い星の姿は「ザ・ブルー・マーブル」(青いビー玉)と呼ばれ、新しい世代のグローバルな意識を象徴するもので、環境問題への意識を喚起し、インターネットによる一つの世界観の誕生をも予感させるものでした。
「ホール・アース・カタログ」は様々な影響を当時の若者たちに与えましたが、新しいコンピューター開発の分野も例外ではありませんでした。
スチュアート・ブランドは、「すべてヒッピーのおかげ」というエッセイの中で「カウンター・カルチャーが中央の権威に対して持つ軽蔑が、リーダーのいないインターネットばかりか、すべてのパーソナル・コンピューター革命の哲学的な基礎となった」と書いている。(ジョン・マルコフ著・服部桂訳『パソコン創世第三の神話』)
パーソナル・コンピューターは、権威への対抗から生まれた
服部)第二次世界大戦の最中、米陸軍が弾道計算を目的に「エニアック」(ENIAC)という世界初とも言われる電子式コンピューターを開発していました。それが終戦後に、民間でも給与計算などに使われるようになったものの、あくまで大企業や軍のための中央制御の大型計算機でした。言い換えれば「権威」の象徴で、その周縁になにも持たない「個人」がいるという使われ方だったんですね。 ところがこの「権威」としてのコンピューターが批判されるようになった。
コンピューターは50年代から、大きくて、中央集権的で官僚的な象徴的存在として、批判の対象になってきた。「機械の神話」や「権力のペンタゴン」を書いたルイス・マンフォードは、電子コンピューターは人間の自由と逆のものだと断言し、超人間的な機械を作っているコンピューター技術者を公然と非難した。(ジョン・マルコフ著・服部桂訳『パソコン創世「第三の神話」』)
服部)60年代のアメリカの若者は、ベトナム戦争に派遣されて戦地で死ぬ者もいたし、反戦運動に身を投じたり、ロックやアート、ドラッグに走ったりする者もいた。中には徴兵が免除されるという理由だけで、国防総省や大学などの研究機関で戦争関連の業務や研究に従事する者もいました。そのため、体制や権力、大企業や官僚主義を支える象徴としての「大型コンピューター」に、批判的なまなざしを向ける研究者も少なくなく、学生が大学のコンピューターセンターを占拠するデモなども起きました。その中から、支配者側にあるのではなく、もっと人の近くにあって個人を中心にして利用者本人の能力を引き出せるようなコンピューターを持ちたい、という考えが生まれてきたのです。