「まず目の前の小さなごみを拾う」ゴミ屋敷清掃のプロに学ぶ、年末の大掃除
常識をぶっ壊せ!
私たちの生活の周りには、理由はイマイチはっきりしないけれど、やってはいけないだとか、望ましくないと思われている常識が存在している。私もいい大人なので、もちろん、そういった常識はわきまえているつもりだ。しかし、わきまえつつも、誰も見ていないところでは、こっそりやってしまっても、別に悪いってわけじゃないよね? ということは多々ある。
たとえば、私も子どもの頃、散々言われ続けた、「立って食べてはいけない」という常識だ。立ち食い蕎麦は旨いというのに、家のなかで立って食べることは常識がないとされる。
確かに、あまり品があることではないけれども、誰も見ていないのであれば、少しぐらいやったって、別に叱られることもないんじゃないのかな......というわけで、忙しいときは、家事をしながら、ときにはキッチンで立ったまま、そそくさと食事を済ませることもあると、ここで告白をしたいと思う。
常識だと言われていることから少しぐらい逸脱したって、別に何も起きない。自分の家のなかで、誰も見ていないときに少しぐらい冒険したって、世界が終わるわけじゃない。むしろ、そんな状況であっても周囲の目を気にしてしまう自分に気づき、はっとする。
自分の暮らしが、時間が、自分にとって快適なものになってくれるのであれば、それでいいはずだ。私たちはコロナ禍がはじまってから数年間、ずいぶんがんばってきたのだから、少しは自分を甘やかしたっていいのだ。
義父とクリスマスと正月と
義理の父は本気でややこしい人だ。年がら年中、何かを心配している。雨が降れば「雨が降っているぞ!」と電話をかけて寄こし、台風が近づけば「台風が近づいているぞ!」と必死になって電話をかけてくる。子どもが風邪で休みだと言うと、不治の病か!? とばかりに驚愕し、コロナ禍がはじまったばかりの頃は、連日、ウイルスが心配だと大騒ぎだった。
はっきり言って、うるさい。面倒くさい。しつこい。
そればかりではない。義父は異様な前倒しの人だ。クリスマスケーキの話題は6月に始まる。おせち料理の話題は早いときでは9月で、今年は10月だった。クリスマスケーキに関しては、とんでもなく大きいケーキを注文しようと必死になって、大騒ぎする。自分で注文はできないから、当然のように、私に「注文してくれ」と言う。
自分でやらんのかい! というツッコミもそうだが、そんなに巨大なケーキはいらないというのが本音だし、何が悲しくて6月からクリスマスケーキの心配をしなくてはならないのだ。そもそも、6月にクリスマスケーキなんて売ってないだろ。予約もはじまってない。それでも、義父のクリスマスケーキの大騒ぎは数カ月間継続されることになる。こうなると災害レベルである。