生まれつき手足がなく、ゲイの私が「美のインフルエンサー」になるまで
Anything Is Possible
将来はメークの分野で自分のブランドを持てるようになりたい GABE ADAMS-WHEATLEY
<生まれつき手足がなくてもメークの動画をアップ。私がインフルエンサーになれば多くの人が祝福されると信じている>
私はブラジルで生まれた。その直後、母は私の父親だった人がほかに家庭を持っていることを知った。
母は貧しい地域に住み、子供が既に3人いた。私はハンハルト症候群という病気で、生まれつき手足がなかった。母は将来を悲観して、私を養子に出した。
米ユタ州で、ある女性が私のことを耳にした。そのとき彼女は、11人目の子供を身籠もっていた。彼女の家は敬虔なモルモン教徒で、私を養子にすることを神から与えられた使命だと感じた。
養母は私をほかの子供たちと同じように扱った。今、そのことにとても感謝している。
中学校でみんながパフォーマンスを披露する「タレントショー」が近づいた頃、私は車椅子を降りてダンスをしようと決めた。母は練習に3週間付き合ってくれ、本番では体育館で盛大な拍手を受けた。自分は車椅子に乗っているだけでなく、はるかに大きな可能性があることを知った。
ゲイであることを自覚したのは、小学2年生の頃だ。養父母はそれを知ると、公にするなと言い始めた。教会がいい顔をしないからだ。
19歳のとき、母に長いテキストメッセージを送り、自分がゲイであることは変えようがないと書いた。自分らしくいられず、デートの相手を両親に紹介できないことが悲しくて、眠る前にベッドで泣いていたことも伝えた。
母は翌日、配慮が足りなかったと謝り、デートの相手にはいつでも会わせてと言った。父も同じことを言ってくれた。
TikTokを始めたのは2018年
高校のときにメークを始めた。参加していたダンスグループがステージでメークをしていたから、それが格好の言い訳になった。
2018年にTikTokを始め、翌年のハロウィーンの頃にはダンスの動画を作った。けっこう受けた。でもメークの動画をアップしたのは、20年になってからだ。
最初の頃のメークでは、ファンデーションなどを含ませたスポンジを床に置き、顔を近づけて塗っていた。それも20年初めにアダムに出会ってから変わった。彼は化粧台を買ってくれ、脚を私に合わせて切ってくれた。今は、メークブラシを化粧台の縁と肩の間に挟むようにして、うまく使うことができている。