「毎日が正しさとの戦い」未来食堂の『ただめし』制度と店主の葛藤
──びっしりメッセージが書かれている券もありますね。
正直言って、意味のよく分からない不思議なメッセージもあるでしょう? 必ずしも感謝のメッセージだけではない。
でも「助かりました」と書いてくれた人に、私が「丁寧に書いてるから、使ってもいい人だ」とジャッジしてしまったとしたら、それこそ危険なんですよ。投げ捨てたようなメッセージを書いた方も実は本当に困っている方なのかもしれません。
「【A】という振る舞いならいい」と思った瞬間に、自分の中で「【Not A】はダメ」となってしまう。
だから「【A】でも【B】でも【C】でも、なんでもいい」という心をちゃんと持っておかないと、必ず「【Not A】はダメ」が出てきてしまう。
「この人はメッセージも何も書かずに立ち去った。もうこの人には使って欲しくない」と思ってしまうのは本意ではない。
だから、今まで当たり前に考えていたような「善悪の基準」を、全部リセットしなきゃいけない。
だって、感謝を伝える分かりやすいメッセージばかりじゃない。意味不明なメッセージも現実にはたくさんある。分かりにくいけど、それだって価値があるんです。
「たくさんコメントを書いてくれている【A】さんが使ってくれて嬉しい」
「いやいや、【Not A】さんが来た時も、【A】さんと同じように受け止めたい」
だから【A】さんを無視するような心の振る舞いすらする。
「たくさん書いているからいい人」と期待して考えるのではなく「いや、悪い人でも使っていいよ!」って。
元々、そこまで感情と距離感を取るような人間ではなかったんですけどね。でも食堂を始めてから変わったと思います。
90回踏みにじられても1回が誰かの支えになればそれで十分。そう思うからこそ"かわいそうな人"だけでなく誰もがつかえるような設計にしています。(『ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由』より引用)
「今日のあなたは、貼る側であって下さい」の意味
人気テレビ番組で食堂が取り上げられると、反響が大きくて"ただめし券"を使う人が一気に増えました。そんなときは、正直「使わないでくれ」と思う自分が出てきます。
でもそれは「テレビを観ておもしろ半分に使うあなたじゃなくて、本当に困ってる人に届くように」と、私が期待してしまっているからですよね。
券を使う人が一気に増えた時「ちょっとこれはまずい」と思って、「テレビを観た方へ。あなたが使う券ではありません」と貼り紙を出したんですね。その後、ただめし券を使う動きはいったん収まりました。
だけど、書いた後に、その文面はちょっと違うんじゃないかと思い始めたんですよ。「テレビを観た人は使用禁止」というジャッジは、おかしいと思ったんです。
ではどう伝えるべきかを改めて考えて、1週間後に「限りある善意です。出来ることなら、今日のあなたは貼る側であって下さい」と書き直したものに貼り換えました。