「毎日が正しさとの戦い」未来食堂の『ただめし』制度と店主の葛藤
ディレクターも同じことを感じていたのでしょう。一日の終わりに「今日券を使った人がいたんですが、ふてぶてしい態度でした」「僕は正直、ああいう人が使うべきではないと思います。せかいさんはどう思いますか?」とおっしゃいました。
私は、さっき話した通り、誰が使ってもいいようにあえて気持ちを離しているので、のらりくらりと「そうなのかもしれませんね」と受け流していました。
そしたら、その数日後、その男性のお客さんがまた券を使って食べに来たんです。
前と同じように「この仕組みを見たかった」と書かれた券を彼から受け取った瞬間、「あ、この人は本当に困ってる人だけど、それを言えない人かもしれない」って思ったんですよ。直感ですが。
すごく印象的な出来事でした。
──つまり頭の中に、「困っている人」のステレオタイプがある、と。
そう。「困っている人は『本当に助かりました』と言ってありがたがるだろう」という憶測や期待は、自分が持っている「ステレオタイプ」ではないでしょうか。
そのステレオタイプがあるために、「本当はとても困っているのに『いや、こんなの視察だよ』と強がっているかもしれない人」への意識が向かなくなってしまう。
だから、券をどういう人が使っているかをあえて意識しないようにしています。「こういう人に使ってほしい」って思ってる人ほど、危うい。
「あなたは困っている」「あなたは困っていない」と人をふるいにかけるのではなく、ただただきた人を受け入れる、それこそが"ただめし"の本質だと考えています。そう考えたとき、"本当に困っていない人"が数日使ったとして、そこで気持ちが揺らいでしまうのはまだまだ覚悟が足りません。(『ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由』より引用)
──‟ただめし"を始めたときから「あえて意識しない」という心づもりだったんですか?
そうです。だからこそ"ただめし"という、ちょっとふざけたネーミングにして、誰でも使いやすいようなデザインにしたんです。
本当に困ってる人を選別したかったら、もっと違うデザインにしたと思うんです。「まず最初に店主にご相談ください」とか「ご相談後に、1食無料の券を差し上げます」とかいうカチッとしたシステムにするといったような。実際にそういうお店もあります。
でもそういう方法は、私にはできません。人が人をジャッジするというのは大変難しく、ともすると傲慢になりがちです。自戒を込めて私自身は、相手によって判断を変えないように気をつけています。
使いたい人が使えばいい。だからこそ券を貼る人・使う人と、自分をあえて遠ざけるようになりました。
誰かの想いを受け止める場所
このバインダーには、今まで使われた"ただめし"券が保管されています。ハンコが押してある面が、働いた人のメッセージ。裏は使った人が書く。